友情の薄さ厚さ、数の多さ少なさについて

友情

誰かを尊敬すること

相互に尊重している状態を表す

 

友人

誰かに出会うこと

その人を信頼している

その人といて、安心する

あるいは

楽しい(自分にとっての刺激的な経験が出来る)

こと

 

友情の薄さ、厚さ

例を挙げるとするならば職場環境について

家に帰れば、行きつけの飲食店に行けば

ようやく本当の自分を曝け出せる、落ち着ける

そういう職場には

友情はないだろう

あったとしても

木の皮切り職人が織りなすレベルのペラペラっぷりだと思う

多分皆、他人の表面的なところにしか目がいっていないので

一人当たりに対して見出せている特徴が

1つや3つ程度までしか言語化できない

「頭がいい」「仕事ができる」「時間にルーズ」

こういう他者への認識は

全くもってその人に興味ないですと言っているように私の立場からすると見える

 

 

 

友情

クラスメイト

クラスメイトでも、昼食を一緒に食べたい人

誘われたら「?」と生理的な防衛反応が出てしまう距離の人

全く関わらない人、つまり知らない人

がいて

友情が広い人は

誰とでも仲良くなれるけど

そういう人はアイコニックだ

つまりわかりやすい特徴を持っていて

表現していて、周りに理解されている

でも、厚くはない気がする

クラスが変われば、違う学校に行けば

将来久しぶりに出会った所で

あっ、としかならない

 

 

 

 

厚い友情

その人と会うことは少なくても

お互いに弱さを曝け出せていて

対等な関係を築けている

 

これは、本人の傷が人の数だけ千差万別なように

繋ぎ合うピースというのは

増やそうとしても増やせるものではない

そして、傷が多いほど

痛みを理解できるので、似たような傷を負っている人に優しくできる(実際にするかどうかは複合的な原因から導き出されるので断言はできない)

 

 

 

厚い友情はそれ故

作るのには時間がかかるし

一対一でないとなし得ないものだ

そして

割と長い期間、1年とか2年とか

はたまた5年、10年だって続く場合すらある

 

 

あっ、あの時の

中学の頃告白してくれた女の子

今会っても楽しく話せるだろう

それは高校も、大学時代も、社会人になっても数年に一回電子機器を通じて出会うだけでも

何も変わってないね、

と心を通わせ合えるからである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

厚い友情が、たくさんあるっていうのは

おかしな話である

人間に与えられた熱量は

身体のサイズからも見て取れるように

皆そこまで大差ない

ボルトだって3秒で100mを走れない

 

 

 

 

ペラペラの友情に

奇跡的に色をつけて楽しむ

たくさんのペラペラを集めることで

重厚感を作り出し

そんな天才も

いるにはいるけども

それは特殊

 

いくところまでいくと

歴史的政治家や偉人のように

突き抜けるのだろうかそういう人たちは

 

 

ともかく