2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

できることをやれよ

今日、思ったことがある どこまで行っても人は人で 俺の価値観なんてどうでもよくって 訴えたところで刺さってなんになるの なにがやりたいの 楽しいことがやりたい? 楽しいことには、飽きたのかもしれない 何かに打ち込む自分を信用しない 今日、現職を紹…

邪魔

適切な落ち込み方何もかもどうでもよくなってもはや死んでしまいたいなあと思う日が続くと 今日は嫌なことがあったとか最近なんかつらいなでは片付けられないような自己不全感が脳裏を過ぎる かたや世の中にはこの生き方最高だわしこしこー幸せそうに今日も…

純粋な欲望にプライドは無意味だ

本来ならば苦しむから生まれる そういうもんじゃなく ただただ美しいと思うから 自分を捨ててでも何かを生み出したいと思うから 人は何かを描き続けるんだ 文字に頼る人は、何かこう、美しさよりも、自分との対話に落ち着いている 自己顕示欲と自己不全感の…

やることと知ることとできることとわかることの違い

やることと 知ることと できることと わかること 誰もわかっちゃいないその区別を やるっていうのはだれにしもにあてはまる 知ることは学べばわかるってことだ わかるってのは経験して理解することだ 全然違う 知るのは、正解かどうかは別として、普遍的に落…

言葉を頼る人について

言葉を頼る人について ちょいと疑問に思った 写真や絵画や彫刻や音楽 様々な技法がある中で なぜわざわざ言葉を頼るのか 言葉に浸かって文を織り成す 人たちというのは 科学者の論文でないとすれば その芸術はなんであろうか 見当がつかないのであるが 知の…

写真が嫌いだ

写真が嫌いだ 誰に何と言われようとやっぱり 写真は 写真を撮るためにある訳ではない 撮らなきゃいけないから撮る訳であり 無論目的は人それぞれだけど 撮るからには精一杯美しいものにしたいと思うし そのためには膨大な数の写真と 綺麗だと思う光景が必要 …

芸術のその先へ

悩みでも何でもなくてただ平易なことを書くけど やりたいことや夢はやらないことでしか実現しえない やりたいことをやるには 喜びや幸せのような結果を捨て 続ける力を頼り続けることにある こんなこと続けていいんだろうかとか思ったら次も同じだし切り替え…

論理と情熱の話の続き

http://sejies.blog.fc2.com/blog-entry-50.html?sp 論理とは 成功確率を上げるための、いわゆる"合理的"な判断だと思う 例えば(これは日本に限った話にした方がより現実味が増すので)とても頭が良くて、東大に入れるような人物が、東大に入ることなく工場で…

本当に優しい人間

とは 何か 思うところがあって 書いてみる が 自分を知ろうと汗水垂らしていて 自己不全を理解して でも自己肯定が出来て 愛し愛されようとして そのために自己開示を不貞腐れず 目の前の現実、やらなきゃいけないこと 受け止める 言い訳し無いで努力する 何…

自己肯定感と不全

だから言ったろ!やっぱりそうだった。 自己肯定は根底が"自分の好きに生きればいいじゃ無い" 自己不全感は”自分の好きに生きていいんだろうか” 自己肯定からも不全感からも自己表現は可能である ただし、自己表現時は必ず自己肯定感を孕ませなければならな…

好き

最近つくづく思う好きはなんぞやと 異性の好きと友人の好きは違うのかとか ゲームが好きなのと美しいものが好きなのは違うのかとか 好きで片付けられている正体がいまいち、ふにおちていない 自分の好きなものって果たして本当に好きと言い切れるのか それす…

今を生きるのか普遍的に生きるのかの違い

苦しみについて綴る 珍しく意味のない行為を行う 苦しみには正体があり実体を伴わない苦しみは永遠に続く忘却の果てまで つまり実体を掴むことこそが苦しみの除去であり実体なき苦しみは永遠なのよ 今を生きること は嘘を許容すること 自分の理想や世界観を…

自戒を込めて

議論が出来ないとだんだん軌道修正がきかなくなって自分はきっと正しいんだと偏った人間になりがちだ だいたいパターンでいつものこれだ、何度目かという感じ ついつい自分が正しいと思い込んでしまう でも誰よりも自己否定感が強いのも確かで もっと好きに…