目的への過度なこだわりと性格について

深夜寝れない日々になれた5日目くらいの深夜3時

ラジオみたいに脳内であれこれ暇だから思考が整理されていく

少し新しいものを学ぶと、思考回路が少し変わるのかもしれない

今日は夜に小一時間電磁気学YouTubeを垂れ流していた

するとこの深夜の脳内ラジオに対して、これも電子の流れに過ぎないんだな、みたいな考えが湧く

 

そこからどう話が発展したのかは自分でもわからないけど

今は人生初の突き指でテーピングをしていて

中学生の頃テーピングを知ったかぶってやろうとしていた自分を思い出して

あの時はひどく反応的に生きていたなとか

 

そんなことを巡らせていたら

ああ、自分はそういえば

あの電磁気学の説明みたいに、まずその学問が生まれた理由や目的に納得がいけば、ちゃんと勉強するよなあと

というか昔から

そんな性格だったなと

 

数学にしても

それって何に使えるんですか?がわからないと

逆に、三角関数太陽光パネルの角度を決めるのに役立つと28か9で知って物凄く興味が湧いたりしたし

とにかく自分が納得できる理由、答えがほしい性格なのだと思った

 

社会に出て人見知りの僕でも多少色んな人と関わらせてもらううちに、

とりあえずやってみる、が自分の対極にいるのだと思わされた

 

自分の中での過度な意味目的に対するこだわり

マレーシアに移住しようか迷うにしても

医学部編入を迷うにしても

起業を迷うにしても

なんにしても僕は決断が遅い、し

しかもしないケースが殆ど

 

これは、失敗を恐れるとかっていうより

それは本当に今の自分にとってやるべきことなのか?というか

やらないと生命活動が停止してしまうほど重要なのか?

がわからない

ならやめよう、となるのだった

 

格闘技のように、納得いきさえすれば

大学受験のように、嫌でも納得さえすれば

それなりに結果を出してきた

 

 

 

 

 

 

性格は生存本能だから

ただ、変化を恐れるのは良くない

自分の過度な意味目的に対してこだわる性格、それは他の人に対して自分が持つ印象のように、簡単に変わるものではない

し、別に全てが悪いってわけじゃあない

 

ただ、常に中庸を意識するのである

意味目的にこだわりすぎない意識

 

それじゃなにも行動は変わらない

ただ、自覚はできている

 

自分には色んなことができたはず

多分性格が変われば

ものすごい色々な選択の後悔に気づいてしまって

ショック受けるんじゃなかろうかな

 

まあでもこだわりは

あるに越したこともないよね

 

 

 

 

 

 

 

人生を謳歌し、一生懸命にもっと努力を積みたい

人の役に立ちたい

この性格に、それを邪魔して欲しくない