社会に出て、どうやら6年半も経ったらしい
あの時の俺は一体何処へ
あの感情、はどこに
落ち込む尊さを知ったのは
感情という感情に始めて触れ合ってしまったから
それが尊くなってしまうんだ
大人になるにつれ
体の関係がない男女の友情とか
信頼とか
同じ悩みをわかりあえるとか
そんな感情もあると知った
3年半前の俺にはそんなものはなかった
全てはこの世界が悪いと知って
全部お前らのせいで
俺はお前らとは違う
俺の好きに生きるのに何が悪い
スタンスを変えずにここまでこれたけど
無論差し伸べる手を拾うのも自分だと
利己的な捉え方もすれば
差し伸べる手があってからこそ今の自分がいる
利他的な捉え方ができたりも
親という利他
その他に愛という利他
それに似た恋という利己
あれは恋なのか愛なのかなんていう妄執
仕事
安定してきた
格闘技
悪くない
あとは
海外に行く
言ってばかり
友達
安定
あとは
学ぶこと
それは祈りに近い
意思決定には常に感情が付き纏い
でも昔と比べると激情にかられる(特に怒りとか嫉妬、悲しみの類による)ことは大分少ない
それは大人ということ。
そして誰かの役に立つ
ことを祈りに近い形にして生きているのもまた真実
縋っていく。
それは道に迷う外国人観光客を助けるように
私はいつも、弱き者の味方をして安心するのだ
私こそ彼らの痛みを知っていたからで
私より痛みを持つ人には助けられて生きてきたからだ。
その人への報いを、今は祈るということにしておく