人には与えられた感性がありそれに従うというのが本来のあるべき姿であるとは
時々確かにと思い出したりするのであるが
それを維持するためには現実をあまりに真面目に見過ぎるのもどうかということである
現実というのはたいていにして往往にして自分には関係もなしに人全体の流れとして揺らいでいる大海のようなものであって
目の前の現実というのはその海の中でも自分が乗り越えなければならない波だとか、温かさだとか、生態系だとか、そういうものがあるわけなので
あまり大きく物事を考えてしまう、捉えてしまうのは、いささか目の前の現実を無視しているのと同じで、不健康極まりないのではないか、とも思う。
では、私はこれからどうしたらいいんだろう
大企業に入ったはいいけど
そこには現実しかなくて、自分にとっての泳ぐべき、生まれたはずの生態系は存在していないらしい
少なくとも自分の中に違和感として唯一残されているのがそれくらいらしい
人についても同じ事が言える
大切にしたいと思ったところで
うまくいかないのは自分の中に自分らしさを殺している自分が強く旗を振り回しているから
そしてその旗を持とうと決めているのはまぎれもない自分自身であるから。
そしてそんな事が理解されないことに苦しむのはやはり辛い
だから、こんな弱さを味あわないためにも
何かしら今後の施策を打っておかなければならない
今この瞬間
だから失敗は恐れない
忘れることも許さない
やりたいことをやる
やりたいように生きる
苦しいを生み出さない。
苦しいは辛い
大切にしているのと行動の不一致はいつになれば切り替わる?
一生懸命苦労している
情緒はどこ
いつかこの文章だって俺に慈しみの念を灯してくれるって信じている