18歳くらいまでの思い出は消えた
整った、とも言えるし、あいにく嫌な思い出だった、で良い
どうでもいいのだ最早、あまりに重大な出来事が少なすぎたから。
やっぱり19-21にかけての激動を思いの外引き摺りに引きずって、気付いたら7年くらい経ちそうな今だ。
昔に戻れば戻るほど、自分が未練たらしく昔の思い出に縋って生きているのをはっきりとわかってしまう
それで、色鮮やかな風景に身を浸せるのは本当に22-27歳までのこれまでの間にちっぽけもなかったこと、たまにそれを思い出させてくれる機会があったとしても歯車がちっとも噛み合わなくて上手くいってくれなかったこと
気付いたら勝手に違う道進んでるし
そんな感じで、まあ自滅とも言える、他者依存の結果がこうで
体を動かしている間は、とか旅をしているときは、とか
そんなくだらん焦土作戦に身を費やせば何か変わるとでも思ったのか
残念ながら人生に楽しみがないとここ5年間感じていることの否定できなさをブログで十分に噛み締めることができた
表面的な楽しさならたくさんあるけど、結局のところ根源的な悲しみについて触れられることもなくてさ。気付いたら勝手に違うことしてるんだし
こんだけ責任押し付けあったのに、挙句それかよ、っていうこれもまた自分の内省の暴走ではあるんだけども、そのような激情にかられるのはいつものことで数年経過。
そもそもそれを踏まえて前を向うなんて、サラサラ思う気にもならないし、だから寄りを戻す云々以前に喧嘩別れみたいになったのを整理しようよ、というだけの話で
仲直りしたいだけなんだけども。そのために数年かけてたらその機会を否定されてしまった、若きウェルテルも悩むよなあ。それは。つらいぜ
人に対する接し方の大人になること、マイルドな、平均的中央値的なコミュニケーションになれても、何一つ僕の幸福は増えて来なかったし真っ当に生きるが程にそれが余計にひどくなっている事も分かってしまえて余計に辛くて
死んだ方がマシだという短絡的かつ最高の選択肢すら体がまだまだと耐え続けてくれるため、心身相関の脳の方はもう限界だよ、と悲鳴をここ数年にかけて長々と訴え続けてくれているのに、体の方がボクシングやろうだの旅しようだのと健康すぎるくらいに健康で、お酒も嗜むようになればタバコの美味しいのも(これは元から知ってたけど)より深みが増してくるというか、
そういう楽しさを、この間まで触れていたあの人には分かってもらえたし、なかなか結婚って難しいなという思いだ。
タイトルに書いたような形で、何が言いたかったのかというと
あまりにも長い間女々しい感情が続いていること、その整理は多分時間の問題か、経験の問題か、まだ分かっていないこと(少なくとも時間が解決してくれる、の期待は途絶えた)
とはいえ自分にとっての幸福を実現するための道筋がそこを通らない限りは見えてこないって話で、それはなんというかもう、生きる意味をそこに置いたのに、もうそこにはいられなくなったっていう感じの落ち込みである
頭は悪くないのに、気持ちの整理が苦手なので、延々とこんな事なら口語体で話せそう
誰か幸せを俺に。今はもう自分でとかもうそういう気力を諦めてみるよもう