自分はなぜに戦っているのか
戦い、というか、勝負というか、果たし合いというか、試合か
試合という言葉には救いがあるよな
勝負だったら命取られるし。試すという言葉で、競技・スポーツとまやかしてもらえて
しかしまあ普通に考えて、わざわざ勝負に行かなくても良い方が
安全で平和なはず。
来週にはまた試合が待っている。
出てみようかな、という実験的な心持ちと、別に戦いたくないなあ、という格闘家らしからぬ感情が、せめぎ合う。というか戦いたくない。
なんでまた、練習で強くなっちゃいけないのか、とか。
試合でしか身につかないものがあるとか、まあ確かにあるんでしょうけど。
その先というか、それ以前の根源というか、なんで私は戦うんだろう。
昨年の5月に、辛酸を舐めた末ようやく勝てたけど、
思い出せば思い出すほど、しんどかった記憶しかなく、
楽しいなんて流石に吐いても言えない。
それなのにまたどうして。
キックボクシングはもうやりたくない、これはまあわかる。危なっかしすぎるし、脳みそ筋肉向きすぎるし、大人ではなく子供のうちに練習しておいた方が圧倒的に楽。
まあ、スポーツに限らず、音楽でも、若い頃に養ったものはやはり強い。
大人になっても、大人になってから始めた素人よりかは俄然強い・上手い。
しかして4年目になった。格闘技歴。
サッカーも一応、10年くらいやった。
別に格闘技ほど熱は入れなかったけど、楽しかった。
ところでようやくなんでこんなことをわざわざ文字に書き起こそうと思ったのかを思い出せた。
試合がしたくないのである。
端的に申し上げるならば、緊張している。
それは、キックボクシングの時と比べると、やや穏やかな心持ちではあるが、それにしても相手が如何程のものか、見当もつかないので、漠然とした不安という形に保管してしまうのだと思う。
漠然とした不安とは。
相手の攻撃が強くて痛かったらどうしようとか。
怪我したくないな、とか。
実際はその程度で、あとは相手との真剣なぶつかり合いというのが、そもそも日常的に発作しないから、慣れないんだろう。
どちらかというと、割り切って、やれることをやろうと腹積りを決めたならば、自ずと自分のなすべきことに集中し、それが今回は出来ると思っている。
3回も地獄を見たんだから大丈夫。
そして、4回、5回、6回、、、と数をこなしていく上で、
その緊張が慣れを生み、それでも変わらない新たな相手との戦いに赴くことでの恐怖というのが毎回対峙しては、戦っていくのだろう。
まあ、次の試合の後のことなんかは当然考える余裕なんてないわけで、風邪も引いて最悪のコンディションから、ようやく少し打ち解けて心に春の穏やかさを取り戻している。
あとはつがいの一人でもいれば。
いやしかし、今後私の残りの人生を、何に費やすべきかを、あらためて再考したい。