親戚後記

爺ちゃんが亡くなって四十九日が来たのでまた広島に赴いた

自分は親戚と会うたびに毒消し草でも食べたような浄化された気分になる

 

うちの家族が、とかどうこう言いたくはないが

とかくいとこの三兄弟やその旦那さん奥さん

その子たちと触れ合っているうちに

自分はなんて惨めなんだろうなんて思ってしまうのと同時に

俺もこうやって幸せになってもいいのにな

なんで幸せになれないんだろうな

なんて巡り合わせが訪れたりもするので

帰りのJAL国内線なんかは空を見て宇宙の綺麗さに感動したりして

やっぱり宇宙に行きたいなとか海外で仕事がしたいなとか

本当にやりたかったこと、がポツポツと頭の中で炭酸ガスのように弾けては消えていく

東京が近づくとやはり空気が変わるのか

自分には第六感でもあるのか(ふざけてる)

なんかこう炭酸ガスが抜けるのがわかるのだ

緩いからとかそういう話でもなくて

とにかくその場の空気の悪さ、居心地の悪さについて

先ほどまでいた宮内串戸の徳川の子供たちのことのように

居心地の良さが無くなっているのだ

 

あれはなんでなんだろうか

天気の問題ではなかったと思う

きっと人や、その集まりによって作られたその場の空気

ため息をつく人が多ければ二酸化炭素濃度はもちろん上がるし

ストレスはコルチゾールとなって大気中に無論素粒子レベルでは充満する

 

そのように、占いではなくて科学として

感情は物質化してその場にまとわりつく。

それは嘘でもなんでもなく、ただの事実。

 

 

だから、話を戻そう

私は昔から親戚といるのが好きであった

彼らは面白く、それだけ

 

自分はいつも一年に一回広島へ戻るのが楽しみだった

お年玉もそうだし、あとは父方の実家よりも母方の方が良かった

それも多分ポジティブなあの楽観的な空気感の方が合っているからなんだと思う

 

父方の実家にはそれはそれとしての人の良さというものが滲んでいたりするのだけれども

あれはなんというか悲観主義に近しい

好きなんだけど、ずっといると生気が損なわれてしまうんじゃないかって

でも、優しいのは父方の方である

 

 

母方の方は、優しさというよりは楽しさ

それは哲学からくる

 

大阪が笑う国であるのは有名で

歴史や文化は日本は主に関西圏から出てきているわけで

やはり昔の日本人的な人たちは

笑うことが重要であることの理解と実践をしていたのではないか?

あるいは地理的条件によってそうなったのか?

 

 

とやかく親戚にはやはり

良い雰囲気があって

 

今こうして東京に戻ってきたとして

やはり違和感を

そして徐々に消えてしまうこの違和感を

改めて感じている

 

どう向き合えばいいのか

東松原に引っ越しでもすると変わるのか

 

それすら

 

今の自分には勉強が足りていない

 

そして小学校の頃のあの親戚と楽しく遊んでいた自分を取り戻せずにいるんだろう。

本当の自分は、悲観的なものと、楽観的なものをちょうど良くバランスよく抱えているのだと思う。それはいつの日か訪れるのだろうか、わからない。努力はする