失われた30年、取り戻す2600年の情緒

社会派記事三個目

世界的なインフレが家計直撃...「賃金が上がらない」日本に迫る厳しい現実 | 社会の今、未来の私 | mi-mollet(ミモレ) | 明日の私へ、小さな一歩!(1/2)

 

これがとても分かりやすくて良い記事だったので、触発されてGoogle検索で「失われた30年」と調べて出てきた東洋経済の記事

日本人は「失われた30年」の本質をわかってない | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

これを読んで、以下のように思った

 

そもそも失われた30年というのは、wikiによればバブル景気崩壊してからの30年のことを言っていて、比較対象はあくまでも高度経済成長期辺りだと認識している。

だとすると、日本人という民族の歴史が少なくとも日本書紀ベースで神武天皇時代から始まっているとすると、大体2600年くらい歴史がある。

もちろん人類は進化するけど、30年程度で変わるのはせいぜいインターフェイス、つまりは前頭葉のインプットとアウトプット、社会に適応するための社会脳的な進化程度。別に水生動物に進化はできないし、急に背丈が5mに伸びるような突然変異も起こらない。生物の進化はそんなに短い単位では発生しない。

つまり「失われた30年」ひいてはこれから50年、ひどければさらに100年と言った感じだろうか、"世界経済"を基準に置いたときに、日本は衰退・減少・劣化するような悲観的シナリオに繋がる。

しかしでも、江戸時代に遡るだけでも、日本ってそもそも世界経済を基準に生活していなかった。300年もの間、日本列島という檻の中で楽しく、革命も起こさないで性生活に享楽を繰り広げていた。

せいぜい日本が世界を視座に取り入れたのはペリー来航以降の明治維新と呼ばれる革命が起きてからで、僅か150年程度しか歴史がない。日本人の歴史においてたった5%の容積しかない。「時間の密度があるじゃないか、インターネットが普及して、昔とは比べ物にならないほど情報と触れ合えるのだから、今の人間は昔の人間より1秒あたりの情報密度が違う。だから5%だとしても、微分すれば昔以上に変化率の高い状態であり、主軸にしても良いではないか」と思う人がいるかもしれないけど、そもそもさっき述べたように生物学的観点からして人間はそんなに大層な変化しない生き物である。ホメオスタシス(恒常性)という言葉があるように、人は変化を拒む習性と積極的に変化を取り入れてバランスを保つ動的平衡の感性を有している。しかもたとえ情報をたくさん仕入れられるようになったところで、それは前頭葉の活発にしか主に繋がっていないので、たとえば肌で感じることの出来る触覚の進化とか、可視光線の領域が広がるといった視覚的変化とか、そういったところの発展には全く寄与していない。閑話休題、要するに日本人にとって「失われた30年」と必死に文句垂れているのは、あくまでも高度経済成長期と比較して悲観している社会一派のプロパガンダでしかない。(もちろん全員が全員そうであるとは言わない。情報が伝播したことによって、日本以外に自分に適した地理的、文化的、政治的環境を選べるようになったことは、ナショナリティというイデオロギーを放棄して、より自由主義的な(フランス的な)生き方を許容する意味では非常に素晴らしい進化が起こっている)

とどのつまり日本人は超農耕民族で、身内に評価されるのが怖い生き物で、やることなすこと否定から入って、自分は周りと同じであると同調圧力付和雷同させられるのが好きな変わった集まり。欧米のように陸続きで人種差別も難しいような世界線とは、そもそも領土争いの歴史から違っているし、その際に行われたイデオロギーの変化が世界基準からはかけ離れている。(太平洋戦争によってアメリカの植民地と化したことは世界基準を取り入れる一つの要素ではあると思うが)

結局、何が言いたいのかというと、経済成長、言い方を悪くするなら、「資本主義社会における強者の群れから離れることを恐れるな」である。

そもそもが日本人にとって欧米列強、アフリカ、インド、中国といった経済力のある国々と横並びになることは、1度は必要だったかもしれないけど(戦後の反動という意味で。負けから学ぶ姿勢は本当に凄い異常、この国。)、もはや大義のない経済成長を追い求めたところで、そこには資本主義の根源(になってしまった)である"欲望の経済"からは抜けられない。欲望が金に形を変えて有象無象をやらかして、しょうもない家も建てば人間が生まれている。東京なんかは特にそんな感じ。

それよりも、例えば田舎の故郷のように、資本主義の色合いが薄い地域にある日本人の人間性に塗れた方が、まだ文化的に幸福度が高いのでは?というのが個人的な意見だ。ペイフォワードと他人への思い遣りのある場所。

無論社会制度(終身雇用制度など)などの多々要因があるので、たったこれだけの単位で精緻に語り得るのは難しいが、(だって論文書いたところで誰も読まないもの)少なくとも2記事を読んで3秒で思ったのはそんな感じだ。

自国の歴史、幸福論をこの国は軽視しすぎだと思う。