翼の折れたエトセトラ。キュンとときめく恋の予感に宛てて

東京のどこを見ても、歩いても、あの人の記憶が呼び起こされるのは愈々病気なのか

こうして不安定に精神を露にするのは何の意味があってなのか

意味なんてない。

 

あれから数年経って、東京タワーは通信を傍受しなくなった。

あの頃は髭なんて気にしたことなかったし、似合わない帽子も被った。

目尻のしわも気にならなかった。

 

今はスカイツリーの円環の光が可哀想に見える。

いつも同じ場所を巡り巡って光って誰を待つのか。

 

鎮座している場所から、この世界を何度も繰り返し見た。

人工的な高層ビルの群れに吐き気を覚えた時。

日本の歴史に関心を抱く時。

空の広さが、月の移動の美しさを教えてくれた時。

時に、こんな風に毒を帯びている自分もいて。

 

人生に起こる出来事の正負がトントンだとするのなら

銃で撃たれて死んだあの人に何を悔やむ必要があろうか。

 

 

銀座やら恵比寿やらで、高級洋食店で見知らぬ男女が楽しそうに大量消費に耽っているのは、よほど現代社会に溶け込めているのだとするなら、芥川龍之介は現代に生きるキチガイに変わりないだろう。

 

クリスマスの予定を、救えなかった。とか

今更過去に縋り自分に非があるとか、その人に非があるとか

当時の相性について思い巡らすのは、間違いなく

 

江ノ島で一人で風邪を引いたあの4年前のこととか

何が嫌だったかと言うと50:50じゃなかった

二人にはそれが出来なかった

歩み寄るための知恵が足りない

 

空が楽しかったのは6、もうすぐ7年前のことに

夜を思い出せるのはもっと昔に

 

楽しかったあの頃は、なんて女々しい

くだらない

そんな風に

他者からどう見えるか、よりも自分に身を寄せたいよ27歳の夏

 

これからまた互いに歳をとる。あの人もあの人の好きなその人も。その人が好きだったあの人とかも。

 

書くことがなくなってきた。つまらない

昔はもっと書くことが出来た。楽しく、はなかったかもしれないけど

発散すべきことが無限と思えた。

 

もっと叙情的に表現していた。あの頃は絵も描けた。今はきっと描けない。

そうだ、絵を描かないと。音を鳴らさないと。

その時の感情に耳を傾けないと。

 

 

それだけがやはり人に染み渡る最後の壁であることに相違はなかった。

一方で、どうしてそんなに一人に固執するのか?って気も自分なりに分からなくは無い

 

 

 

学生の頃の自分たちは、皆どうかしていたんだと思う

性欲は枯渇を知らないし、精神は恐れを知らなかった

負けも見てこなかったし、負ける人の気持ちなんて分かろうとすら

勝ちにこだわって凄いと言われたいと願って

頑張ってきたのは優秀であることの証明

その背理にはいつも自分らしさとか言って個性の強調をせがまれて

それを持った人に対立してしまうのは何故なのか

凹凸が繋がったとしても、どうして並行は融合されないのか。

誠心誠意努力の末に繋がったこの道のりで、私は何を歩み寄れば良いのか。

 

大切にしたかったもの、それもこれも全部自分だ

自分自分自分。いつだって誰だって自分でしかないんだ

その大切にした自分すら、守れなかった

 

失敗を忘れて前を向いて歩こう?そんなのが嫌で自殺が増えたんじゃないか

子供の教育に金と熱を入れるからこうなるんじゃないか

 

 

人生はもっと原初的にあるべきだ

言葉なんて難しいものは使う意味ないし

感情なんて発露したって大した救いにもならなくても、それでも噴出したければしたい

 

 

自分の言葉はいつもその人の後を追ってばかり

その人の文章も恋人を慕っての要素が垣間見えたり

好きって結局後追い

誰かに何かを残すのが

 

 

 

この感情経路というものだけが、肌の気温、空の色、それはマーズブルーとでも名付けたくなるような、淡い苦い得も言えない空の色とか

仕事を頑張ってセックスして

家に帰ると家族がいて

自分の時間を他者へ捧げながら

人は生きていく

 

揺蕩うってそんな意味ではないだろうか

今思うとそんなふうに感じる

 

この空の制約が今はただ辛い。