間違ったのは自分で、他人は変えられない。
相手を受け入れられる器量が無かった。それだけ。
では今はどうか。とりあえずあの頃の自分が望んでいた通り、
器量なのかなんなのか、あの頃よりは余裕が持てている気がする。
肝心なその器量の使い所がなくなっている。
まるで、事故で亡くなった子供の部屋のような匂いがする。
いくら悼んでも彼・彼女は戻らないのに思慕をしてしまう心がある。
今受け入れられるのは、本当に死にたくて辛い、居場所がない、性格美人。
今ならいつだって、深夜に振り回されたって、構わない。なんなら嬉しい。
そして穏やかになって、その人の本質的な魅力が出てくるようになって、
それを愛おしく思いながら、その子にも快い母性を捧げたい。
30歳になった。そんな願いは哀れだ。
お前は一体何をしてきたんだ。
現実から目を逸らし、いや、逸さざるを得なかった能力に絶望した結果として、
体を鍛えるということに始まって、なんとか、なんとかやって来れてきた。
その間、私は何も要らなかった。それ以外、要らなかった。
次に付き合う人と結婚してやる、そう思って付き合った人ともうまくやれなかったのは、今アーカイブを振り返って思うのは、やはり自分が愚かだったからに過ぎない。
しかし、その瞬間に相手を受け入れられなかったのだから、事実として飲み込まないわけにはいかない。後悔は意味ない。
だからと言って、後悔はしなくなるものではない。これが肝要。
感情は理性でなんとかならない。
感情は、素直で美しくて醜くて、仕方がない。
だってそれが感情だから。体が訴えている、真実。
それは、要は幼少期の環境に左右されて作られた関数かもしれない。
しかし、それは変えられないから、向き合わざるを、従わざるを、得ない。
次に付き合う人と結婚すると決めた相手ともどこかまだ被害者面が拭えないまま甘え、ないし死ぬまで添い遂げようという覚悟もそのとき持てなかった私は、相手を憂う権利が無い。
せめて自分なんかより素敵な人に出会ってください、いや神様がいるんならそうじゃないとダメだ。この世界はそんな厳しくちゃ。
間違えている。彼女も私も。でも、だからと言って、望みが叶わないのは違う。
そんな難しい、ことだろうか。私の願いも、彼女の願いも。
少なくとも私は当時の彼女の願いを、あるいはそれ以前の彼女にも、無碍にしてきている訳で
苦しむなら苦しめ〜と言われても仕方がない。
だってお前が破ったんだろ?
優しい人なら、出来た人間なら、結婚したのだろう。
23歳の頃、今と比べると本当に武器がなくて、重心がなくて、フラッフラだった。
助けたい相手を助けられる余裕なんて、?
クリスマス、ランドセル、銀座、水天宮前、何もかもが贅沢で、相手の尊厳を私は十分に理解出来ていなくて、当たり前のように思ってしまっていて、
悔しい。
なんでそんなこと。悔しいから、前を向かざるを得ない。
私は、幸せになろう。
だから、私は、何から。
幸せになれるか、なれるさ。きっとなれるよ大丈夫さ
幸せだって、勝利だって勝ち取ってきた
戦って、結果は常に分からなかった
結果だけが真実
真実は結果ないし行動だ
プロセスは過程だ
彼女に私の知らない間に何があったのかは分からない
邪推ならできる
おおよそ間違っていない気もするし
そんな報われ方なんて流石に羨ましいとさえ
それも惨めな自分
素直な
素直な、分別がない
素直だとはいえ、皆分別がある
世の中を、やっていいこと悪いことが
妄想と現実の区別が私より
私は現実と妄執が混じり合いながら生きている
その余裕を持てていると言っても良いのかもしれないけど
いや、ダサいなそれ
現実を見れない
現実を見れない怖い
上手くいかなかった
意味がなかった
それを巻き返す
幸せになる
どうすればいい
その場に止まって、夜空を見上げるのも終わり
諦めて、下を見て、前を見て、足を動かして
幸せになるのです
そんな甘くない
お前は自分に甘い
親が言うお前は頑張っている
親に頼りたくない
頼ってしまう
甘えてしまう
甘やかしてくれる
頼るのは悪いことじゃない
なんのために育てて頂いたのかを
今一度考えなくては
社会に溶け込む
ためじゃないのか?
社会は嫌いだった
何もかも
偽善で
愚かで
家庭のような温かみを感じられない
無機質、ないし合理的で、人間に対してドライで
情緒なんてない
利用の世界
仕方がない
男に生まれた以上この社会では
戦わなくてはいけない子供産めるわけじゃないもの
お前は生産者として
消費者に貢献
どうでもいいんだそんな
私は自分の過ちを
あれだけ唸ったのに結局間違ったのかよ
恐ろしい
そして25歳の頃のように、26歳の頃のように
あの頃と比べるとまあある程度は
いくばくかは
まともに、自分の感情を飼い慣らせるようになった今日この頃
苦しみを100%ありのままを受け止められる
苦しんでも、痩せる幅が低いのは体が元気で健やかで仕方ないからだ
そのおかげで苦しめている
これって昔羨んでいた強きものだよ
ムカつくよな
道を走るLUUPのキックボードさえ
乗る前はイラつく対象だったのに
いざ自分が乗れば
その便利さに手のひらを返しやがって(笑)
今乗っている人の気持ちもわかって
イラつくことがなくなったような。
同じこと
羨むんだよ
自分の現実に集中していない
今を大切に
黙れ
言葉はいつだってくだらない
現実よりもダサい
信じていない
というか信じてはいけない
言葉はその人を言い表さない
言葉を信じてしまうと、現実が見えなくなる
信じていいのは科学的な言葉、文字、記号
ブログなんてもってのほかや
俺はそれでも自分なりに素直に綺麗に美しく醜くも自分だと思えるものを
脳内の垂れ流しを今でも
胸を張れているのは確か。
後悔、それは無意味。
知ってるよ
後悔は、したくなくてもしてしまうものだ
羨んでも、仕方ないって
言葉って、そんなものだよ
現実を
そんな余裕今だってない
辛い時は続いているよ
明日も辛いよ
明後日も辛いんだと思う
天気のせいで元気になってしまう
それがイライラするんだ
本質から逃げないように
格闘技から逃げないように
格闘技に逃げないように
お前が格闘技を始めた理由を改めて
感情が答えを見出してくれる
俺は戦いたい
その戦いは決して格闘技的な戦いではなくなって
心の問題
昔の無駄で無駄で、イライラする、自分をぶっ殺したくなる
相手を大切に出来ない自分の失敗を
イライラする
だって解決できない
自分に完結しない
どうすればいい
どうしよう
裸一貫になったところで何も武器ねえ
戦うしかない
どんなに下手でも最初の一歩が大事だ
千里の道も一歩から、いい言葉だと思う
草津で口ずさんだ三百六十五歩のマーチに脳内再生させて
あのバカな自分を
相手を否定する自分を否定し
間違えていたのは自分だというようで
ありたい
大変
苦しい
死にたいっていえない
それが不在の人を囲えるようになった心の小さいけども一つの根拠でもある
いつだって誰かに家に飛び込んでみてもらいたい
苦しくて悲しくて死にたい人を助けたい
でもそれは君でなくてはいけない
そしてその君はいない
では私は別の君がいないかを探していかなければいけない
私はもう20代ではない
20代と30代を同じ尺度で考えるななんて世の中はいう
五月蝿いよ少なくとも俺はバカだから発達が遅れているから今更そんな土俵なんだよ
仕方ないじゃないか人の成長の差なんて
感情の差なんて
助けたい
その相手がいない
この苦しみにも悲しみにもきっといつか意味がやって、あって、訪れて?招かれて?
やってくるのかな
まあいい
私にも今を一生懸命に生きる権利を
女の気持ちなんてわかりっこないのだけれど
せめてまあ、繋げるつもりはなかったが
自分の気持ちくらいは、昔よりも管理出来るようになりたいのです。
振り回されるのは、仕方ない
パーソナルスペースに無理して入れて、日本刀を突き刺されるようなことも
友達がいるからさ格闘技があるからさ
大丈夫三日で治れば痛いけど面白い話にはなる
辛い
辛い
辛い
辛い
辛い
辛い
私には小説が書けない
あの自然を言葉に落とし込む描写と呼ばれる行為が慣れ親しんでいない
いい文章を書きたくったって
結局この形式に落とし込めれば一番脳がドーパミンを発しているよ
江ノ島に行った時のこと思い出すね
俺は今大企業で働いているからって
昼間っからグリーン車に乗ってさ
あの頃を悼んで意味もなく歩いて一人でさ
彼女あの頃は何やってたんだろうな
どうすればよかったのかな
あははのは
風邪ひいて、絶望して
しっかり
精神科に送られてさ
誰も助けてくれなくてさ
1年間無駄というか、アクセルしかない車だった私に
ハンドルとかブレーキとかサイドブレーキとか色々あるんだってのを
今更教えられてさ
お前何歳だよって
中学か高校生くらいだろその辺の分別って
そんな、でも俺よか年上の人でさえもその有様
助けられない
助けてももらえなかった
その頃には知ってた
もう救えないって
もう手遅れなんだって
分かってたけど想ってた
ずっとね
で、だからなんだって話
お前に問題があるんだよ。
それだけは絶対にいくら俺でも尊厳から書けないけど
そう思ってしまうのも・・・
報われないとか偉そうに
でも間違ったことは、
確かに間違ったことはあったけど、全力出してたし
適合するために頑張ってたし
それが報われなくても相手のせいにしてはいけないって
言い聞かせざるを得ないしだって他人だからねコントロール不可能
それは理性
痛い遺体異体
頭が痛いよ。この記事は校正失敗かな。
ご提供いただいた文章を分析し、その要旨をまとめさせていただきます。
要旨:
この文章は、過去の人間関係や自分自身の未熟さに対する深い自己反省と葛藤を綴ったものです。筆者は他者を受け入れる器量がなかったことを認め、過去の過ちや後悔に苦しんでいます。
-
自分自身の未熟さと過去の過ちへの後悔:
- 他人を変えることはできず、間違っていたのは自分であると気づいています。
- 過去に付き合った人とうまくいかなかった理由を、自分の愚かさや相手を受け入れられなかったことに見出しています。
- 後悔は意味がないと知りつつも、後悔することをやめられない自分がいる。
-
感情と理性の葛藤:
- 感情は理性では制御できず、素直で美しくも醜くもあると感じています。
- 感情は幼少期の環境に左右されて形成されたものであり、変えられないため向き合うしかないと考えています。
-
他者への思いと自己犠牲の願望:
- 苦しんでいる人を助けたい、特に「本当に死にたくて辛い、居場所がない」人を受け入れたいという願望があります。
- 30歳になり、そのような願いを持つ自分を哀れと感じつつも、相手に母性的な愛情を注ぎたいと思っています。
-
自己成長と現実とのギャップ:
- 体を鍛え、なんとかやってきたものの、その器量の使いどころがなく、虚しさを感じています。
- 社会や現実との不一致を感じ、現実を直視することへの恐れや苦しみがあります。
-
未来への希望と決意:
- 「私は、幸せになろう」という前向きな決意も見られます。
- しかし、過去の自分の過ちや未熟さを乗り越えることの難しさに苦しんでいます。
-
自己否定と他者への願い:
- 相手を幸せにできなかった自分に対する自己否定があります。
- 元恋人に対して、自分よりも素敵な人と出会ってほしいと願っています。
-
感情の処理と自己理解:
- 自分の感情を飼い慣らしたい、振り回されずに管理できるようになりたいと望んでいます。
- 現実と妄想の区別がつかず、現実を直視できない自分への葛藤があります。
全体のまとめ:
筆者は過去の選択や行動に対する深い後悔と、それに伴う苦しみを抱えています。他者を受け入れることができなかった自分に対する自己否定や、感情と理性の間での葛藤が描かれています。しかし、一方で「幸せになろう」という前向きな決意や、自己成長への意欲も見られます。過去の自分と向き合い、現実を受け入れつつも、未来への希望を持ちたいという強い願いが込められています。