自分の好きはお金にならない

タイトル通りいつも通り

誰にも読まれないのは

誰にも興味がないから

あるいは

他人に関心を持つふりすらもしていないから

他人に対する関心が、あまりにも伝わってくれないから。

 

優しさ、なんていうのは紛い物で

伝わらない

親戚や血のつながった家族ですら危うい

それに縋るのはしんどい

 

私にはそれが備わってしまった

それは嬉しいことであり

誰にも理解されたことがない

 

だから私はのびのびと

好きなことをやっている

 

最近はどうだろう

目先の売上

お金の大小

賃貸がどうこう

夢や誇りは文字通り埃みたくどこかへ飛んでいったみたいだ

 

夢の大きさや金額の大小だけが全てではないと

21の頃は思ったけど

大切を失って

それだけが全てだと多様性を感じる

 

不器用な生き様は誰にも承認されない

というか、自分で承認したくない?

 

生きる意味とは

そういうのをたくさん大事にして生きてきた

最近は

どうやって歩くか、転ばないかを考えて生きている。

 

大切なものはそこにある

ただ気がつかないで

自己中心的に、別にわざとではないんだけども

人よりも自由を知りすぎているから

こんな苦労も負わないといけなかったのだと思う

 

本当に、つまらないものが周りに多くて

それを最も当たり前のように

 

そして、面白いものたちは

どうしても社会性を担保して進んでしまって

 

家族のようなアートはどこへも見当たらない見つからないらしい

大切なのは一体。