生きる意味が見つかって

きている

少し

宮崎の溶けるような情緒の温かさは

この街にいる人の厳かな風貌とは裏腹。

 

生きる意味が見つかった

それは単に死にたくなかった

死にたくないのは単純だ

考えたら全て終わりだ

今までの思い出も楽しいこと苦しいこと全てなくなる

消えてしまう

ログを残したところで知覚する私という刹那的で流動的な概念の消失で

「言葉」というこれまた宇宙という膨大や離反と結合を繰り返す世界で

めちゃくちゃ価値のないものに縋る

 

生きる意味が見つからないのは

生きる意味を考える機会を外部要因で埋められてしまった

生きる意味を自分以外に与えてしまった

邪魔していた

五月蝿いハエのような

そうした"嫌なもの"を見ずに

 

宮崎の南国風の椰子の木に囲まれて深夜0時に市内を歩いて誰もいなくて

初めて"邪魔されなくなった"

私はそれで何が大切か気付く

 

それが思い出であり、宝であった

自分という至極わがままで自由で動物まがいの人間に

記すという行為が必要を気づかせる"自覚"の二文字で

人は身の丈を知る

 

情緒とはそう

これからはこの時間が続く、いや続いたのだ

続いた未来から今自分を見ている、とした

 

 

 

 

 

私にはもう遅い

何もかもが分かりきっている

20代前半や10代の頃のように

誰しもが無条件に社会的成功の手を差し伸べてくれる年でもない

と、今置かれている事実が客観的にそれを表す。

絵描きになろうとも京都で物書きになろうと

誰の評価もない

それは全てきっとやりたくてやっているに過ぎなくて

そのためにやるべきことが

好きに生きるにも徒労が絶えない

誰かのための人生ではない

私にはもう何もない

大切にしようとしても何も大切にすることが出来ずに来た

謝っても弁解してもなんの意味もない

反省すら生きる意味が見つからなくて出来なかった

反省という言葉すらも意味がなくなり私は社会に溶け込もう

何が言いたかったのだろう

ただふらっと立ち寄って田舎のドンキホーテ

10数年ぶりのやんちゃさを感じたのは

"楽しくて"

東京で仕事をするために支払う700円のガラナは美味しいけど虚無

悲惨、痛烈、残念である。言葉すら意味がない

誰かのように文に価値を見出してもらうのも、私の風貌では難しい

私のもつ私という社会的価値は客観的に見たらその程度だった

今からでもなれるよ、そんな意気込みも自分という生きる意味を

既に遅いくらい。

娑婆の空気吸ってられるのもいつまでもあると思わない

本業の世界に行きたい

自由

東京で得られなかった

人生の間違いは、一度たりとも許されないのに

気付けても直せない

直してももう遅い

遅くてもやるしかない

そんな