可能性感覚後記

俺の周りには困った時助けをくれる人が大勢いるが

それは彼らもまた、本当の意味での困った時というのは

誰も助けにならないことをわかってくれているからだ

本当に困った時というのは、とどのつまり共感が無い。

とにかく孤独で仕方がない。

困った時というのは共感がある。

誰かが死んで悲しんでいる。

わかるよ、の一言で救われる

しかしそれにも限度がある。

わかるよ、解りたいけど、わからないよ

いろんなわかる、があったりなかったりしている。

解りたいといったところで、それは同じような経験の蓄積しか認め得ないって知っている

理想を掲げることでしか本当の孤独には対抗し得ない

憧れを持つ必要がある

または殻に閉じこもるか

 

死に対抗するための精一杯の可能性感覚を

大川先生、なんで辞めちまったんだよ