魅力について

尊敬できる人とそうではない人

前職はめちゃくちゃだったけど、でも社長の佐藤航陽さんのことは今でも尊敬できている

それは何故だろう

彼と私は入社面談の際に当初予定を大幅オーバーした3時間に渡ったその内容の全容としては簡単に言えないものだが人生そのものだ

考えれば分かることなんて存在しなければ時間の流れに身を任せ気付くまで面舵を任せるのだろう

そんな感じの、宇宙もここにあるような

寂しさも気持ち良さもないただ居心地が良いだけの空間

苦しみも受け止め続ければ苦しいだけで生まれた瞬間の痛みを死ぬまで感じ続けるなんてことは人間にはできていないのだ

それなのに僕らはあたかも我々が悲しみの中にいる生き物であるかのように振る舞い、芸術活動に勤しむのだ真実

前に社長はその人がどう生きてきたかによってその人のことを判断することができると言っていた

その通りだと思う

その人の生き方、どういった行動をどういった選択をどういった結果を

どのような"過程"を持ってしていたのか

その考えを理由を聞くことによって

全てが性格が人格が何を食べて育ってきたのかすらわかる

なのであなた方には申し訳ないけれど私には芸術活動に進む人間のほとんどがもしかすると声なのかそれはわからないが少なくとも今までやってきた人間たちにおける悲しみとか彼らが言う楽しさ気持ちよさ心地よさとか言うものに関しては全てが慰み者にしか見えなかったのも事実だ

消してあなた方芸術家を馬鹿にしている卑下しているわけではないただじゃぁ尊敬に値するのかと言えばそうではない

前の記事にも書いたけれど芸術の本来の価値とはその人の心のシャウトのような緑みたいなくだらないものではない

人の感情なんていうものは特に意味がないだって昔から何も変わっていないのだから

そんなことよりも芸術の発展だとか人間を超えた何か形にならないもの有形無形を問わずして自分から離れていく価値を生み出すことそれが本来の人間にとっての重要な行動ではなかろうかと私は思っていたりもする

ただまぁ考えてみれば魅力について正確に議論を行おうとするならば私の価値観を私のバックグラウンド思って表現されねばならないと思うし芸術家側からの意見をしっかりと聞くことも必要だと思う

残念なことに芸術家というのはほとんどにおいて言葉よりも、感じるんだみたいなこと言ってくるので

感じるだけの世界を続けるのはそれはそれですごいことだし気持ちの良いことだと思うが対話のための芸術を作れよ。抽象的な対象を持たず目の前の人間に一言発してみろよ

その度胸が無いから下らないのだ

 

 

他人に対する苛立ちとか

理性

そういったものは純理性に対する無意味だつまり自分が心から望むものほど手にし難い

軸を描く

それは勘違い

できることをやるのは嘘である

ではやりたいことがやれれば真実なのか?という問い確かに真実

真実である

美しさとは真実にある

と信じて良いかもしれないなぜならそれは感じていること知覚している物事全てを=に噛み砕いているからだ

一方それは前も述べた通り停滞そのもの

人間の進歩は嘘と虚像による

つまりは人に想像できるもののには限りがあり

知覚できるものは最初から存在するものでしかない

気付けばウォルトディズニーしかり想像を現実にする原動力だけがこの世の中を模ってきたのだと思うしそれは理解されるべきことだ

それがなければ今頃も我々の先祖は便利な世の中を作るためにあくせく頑張りはしない

悲しいのはいま現実を生き

甘える自堕落な人間の多さ

つまり人に想像されるものを作り上げようとせずに純粋なものだけを楽しもうとする人の多さ

僕の好きな村上龍限りなく透明に近いブルーなんかも

やはり現実の虚妄ぷりに耐えきれなかったからこそのものだと思うし

私は現実を石橋のように叩いている今をあまり尊敬しない

人を軸にした価値観であれば全くその通りだと思う

正解を選べる君たちの努力は賜物だわたしには難しい。そうやって虚実から目を背ける

つまりは自分の目に見えたものでしか判断をしないというのは現実を見ないのと変わらないからだ目の前の美味しい料理に手を出す人生に似ている

私は目の前の美味しい料理にすら興味を持とうとはせず

より美味しくするためにはどうしたらよいか

美味しいの意味はなんなのか

美味しさをより美味しくするなんて全くの無意味なこと(人の目からしたら)なのに何故こんなにも頑張っているのか

遺伝子がそうさせているんだろうか

などと考えて仕事に励む

決してそれに不服はないし社会に対する諦めも一通り済んでいる

だがでは純粋に生きるためには人生は長すぎた

で、あれば若い頃から爆走して生きるべきであって今更に早く死ぬための人生全う人生なんてものは追い求めにくい

まあそういう風に最初からある快楽天は最高に気持ちが良いし死を苦しまずに受け止めるには最良の選択肢だ

最高といのはこれまでの経験における懐かしさ、つまりは理想の過去の追求である

それは堕胎した瞬間からこれまでにおける最高の瞬間というものを精一杯感じ取ろうとするもので人生に意味なんてない恐怖から逃れようとする宗教に意味付きそうだ

そんなことはどうだってよかったりするじつは

人生は皆無意味だ

それを受け入れてからどう生きるのか

それが人間真価の発揮どころ

私は怠惰だし20代の遊び果てた希望に甘い蜜を吸う

その上でこうやって現実を生きることが唯一の生きる術である

人間にはこうやってせいぜい夢をおいもとめるしかないのだ

端的に言えば

夢を実現し切った際に、新たな夢の実現に向けて夢を新たに創出させるか耐えきれずに堕ちていく夢を引っ張り回すだけの人生にするか

どちらをとっても変わらないのだが(人間であるからし

楽しい方を選ぶのが良いと思った

そして本当に楽しければ最善の選択も喜んでとる

そのような欲望へ素直な人間になることだろう

欲のないことは悪か?

尽きない欲も正義か?

とりあえず尽きない欲を追い求め達成する報酬系の繰り返しに飽きることが今年の過程に重きを置くこととする

そのためにはつまらない実現も惜しまないように無理、拡充をしていく

価値観を薄れさせ広げさせていこうか