生物としての強さと

社会における強さは

全く正相関しない

 

生物の強さを

義務教育時代に自分の好きに世界をどれだけ操作させることができるか、という尺度で見て

社会の強さは

お金の有無で考えてみて

 

必ずしも美男美女が

億万長者になれるかというと

存外経営者の多くは

その対にいそうな生物が多い気がするのはどうしてか

 

社会は

後発的な努力に対する公平な見返りを与えるよくできた仕組みだからだ

 

生物は

先天的な強さに肖り、自分の好きなことをやれるが

 

地球のルールは今は生物ではなく社会が握っているから

 

15の頃からそれに気付いて

自分よりも生物として自由奔放な人たちに苛立ち

なんとか見返してやろうと奮起していたな

 

結果今や勝ちに勝ったと言える

 

で?

 

ある種違う方法で、ようやく彼らの土俵に立てたようなもので

 

で?

 

もっとお金があるといいのか

もっと自己表現したらいいのか

可愛い姪の如く私も人間味に満ち溢れたらいいのか

 

 

死んで終わりじゃん。じいちゃんも、ばあちゃんも、みんな好きなのに思い出に残るのは何故

ずっといてくれ

しにたくない

しにたくない

自己表現に逃げたくない

人間味を言い訳したくない

結果を出したい

 

結果ってなんや