どんな人間でも他責にするときはする
そもそもが誠実さとかの倫理を大切にして
規律や調和を公的強みとしたところで
他者を圧倒的に凌駕する明確な力学には
最終的に圧倒される
個性なんてものは社会多数派の環境に身を委ねている限りは、20代半ばにもなると大凡の見切りや見極めが、器用な人程感じられるようなのである
そのようにして脳的に客観視してしまうことで
大凡のその後の人生が決まっていく
移動が固定された時精神が滅するので
偶々でも良いから体を動かせ、と言いたい
案外自分が規定してしまっていたその能力値というのも
見誤れば何か武器になることも。
馬鹿と天才は紙一重と言うように
概ね勘違いする才能があっても良いと私は思うのである。
何が言いたいかといえば
そのこと自体を勘違いして
己は天才だと自惚れてしまい
公的な立場を忘れたとき
周囲には本人のわかりにくい
曇りの空が出来ているのである
やるからには行動に責任を持て
やらないなら忘れてしまえ
やる気がないのならやめてくれ。
こっちはやる気を認めてもらうことに
必死なんだ。
誰よりも
自分の中にあるそれと戦っているんだ。