生きる意味が見当たらない

これが生きる理由なんだ、と確信できるのはいつになるのだろう

いつか誓ったこともあったが、無残に散った

三鷹駅の北口にはそういうエモーショナルさ、儚さのようなもの、漂って

単身には住みづらいが、確かな家庭の味わいが感じられる

今住む場所に生きる意味は紐付けられない

それでいて住む場所が己を規定

無論、何を仕事にするのか、それにもよるのだ

しかしまあ好きな職

そんなものがあったわけないんじゃないだろうか