慕情と目的

人は失ったものをこよなく愛そうとする

 

例えば壊れたラジカセを

例えば失った最愛の人を

 

そんな風で無い物ねだりが一種の宗教化

 

ところで私にとって、そのような想いは一種の原動力にもなると考えている

 

18の頃の自分なら

この世に存在する理由を作りたい

と思って仕事を頑張った

 

どうせ誰からも認められていないのなら

せめて一つくらい認められようと。

 

とにかく自分の、その時は、さらに遡るなら

子供の頃の圧倒的な自信を

取り戻すためにも。

 

今はどうだろう。

満たされて、満たされて、満たし続けているようだ。

 

幸せとは、そんな愛や慕情に満ち満ちたものだろうか?

 

私にとっては辛さや過酷さであり美しさが

私の人生の目的であると私は思っていた

 

"強くなりたい"

半年間頑張っただけでここまでがんばれた

強くなった

周りから褒められる

褒められない日がないほど。

それが私の目的ではないのに

周りに認められることで

私は私の目的を、客観的に果させられてしまった

 

それにより、私は

強くなりたいって何か?

を主観的に定義しなければ

次の段階へと進めない状況へと陥っている

 

それは例えば

宮本武蔵のような

五輪書で語られていることを大切にするとか

そのような覚悟が求められるのである

 

覚悟とは?人生の意義、意味?

それを私は悩みに悩んでいた。

 

愛慕われるだけが人生だと

 

 

 

 

もっと大きな問題を、抱かさせられなければならない?

nobless oblige