人間と社会の輪郭

8年ほど世の中というものについて接する機会を以て学ぶのは常に大して努力しない、同じ種族の群集ばかりだった

 

なぜ努力しないのか?と逡巡するにはあまりに些末過ぎたが、改めて考えてみたら自分が彼ら以上に努力しているに過ぎない

 

他人に自己同一性を求めようが求めまいが自然の無常さに気を遣わせようとすることで大したことないと

 

努力はしてもしたりない

感情と理性を切り離すだけで

こんなに世の中上手く行く

 

無論、理性に付き従うためにも

社会構造を俯瞰し、自己の所在を移動させることしか

改善し得ない

 

犬がより美味い飯を食らうために脳を働かせるのに変わらない

 

そう思うのは人間の輪郭で

 

手段にばかり気を取られ、主体を見失っている

 

 

慕情と目的

人は失ったものをこよなく愛そうとする

 

例えば壊れたラジカセを

例えば失った最愛の人を

 

そんな風で無い物ねだりが一種の宗教化

 

ところで私にとって、そのような想いは一種の原動力にもなると考えている

 

18の頃の自分なら

この世に存在する理由を作りたい

と思って仕事を頑張った

 

どうせ誰からも認められていないのなら

せめて一つくらい認められようと。

 

とにかく自分の、その時は、さらに遡るなら

子供の頃の圧倒的な自信を

取り戻すためにも。

 

今はどうだろう。

満たされて、満たされて、満たし続けているようだ。

 

幸せとは、そんな愛や慕情に満ち満ちたものだろうか?

 

私にとっては辛さや過酷さであり美しさが

私の人生の目的であると私は思っていた

 

"強くなりたい"

半年間頑張っただけでここまでがんばれた

強くなった

周りから褒められる

褒められない日がないほど。

それが私の目的ではないのに

周りに認められることで

私は私の目的を、客観的に果させられてしまった

 

それにより、私は

強くなりたいって何か?

を主観的に定義しなければ

次の段階へと進めない状況へと陥っている

 

それは例えば

宮本武蔵のような

五輪書で語られていることを大切にするとか

そのような覚悟が求められるのである

 

覚悟とは?人生の意義、意味?

それを私は悩みに悩んでいた。

 

愛慕われるだけが人生だと

 

 

 

 

もっと大きな問題を、抱かさせられなければならない?

nobless oblige

観察して考察して、流れている

観察して観察して

人について理解を深めた

 

それ以上無いというほどに人というものに関する理解を

 

昔の人は良かった。と思う

 

 

考察して考察して

鬱になっていった

 

死ねば死ぬほど生きる

 

生きれば生きるほど無様だ

 

いつも自分の周りにはこうした

知覚させてもらえる情報の氾濫を目の当たりに

 

自分で選択することの愚かさ、惨めさ

生きやすさについて辛さを覚える

 

自分で生きることの心地よさ、哀れさ

矮小さについて。私はあなたと繋がりたい

仕事

仕事は嫌いだ

昔仕事人間として仕事の虜だった

 

仕事は嫌いだ

仕事は浅薄な数式上最適解を選択し情熱を注ぐ

 

あの人にはこの態度

この人にはこう言う

 

そうすると皆感情を揺さぶられる

しかもお金になる

相手に出来る事というよりも

相手に好きか嫌いかを金銭とする

 

その前提に近い学業成績とかお遊戯経験とか

相関するほど仲が良くなれる

 

はっきり言ってしまうと

周囲に"味方"を作れさえすれば何しても平気。

 

味方の作り方、そんなのわからないやつのほうが俺にはわからない。

 

ただ俺には味方にしたい人はそう多くなかった。

 

世の中には飽き飽きするしそんな中でも数少ない自分の昔ながらの価値観を基準に持ち続け

 

大きい世界としては正しいとされる陳腐な数式をふざけるなと一蹴

 

小さい世界にはみすぼらしい人もいるが理想を掲げてはいた

 

世の中に発言権を持つには何かを出来る事が

何よりも大切らしい

 

人のこと馬鹿にしてる暇がある馬鹿が羨ましい

 

馬鹿と馬鹿が楽しそうに喋ってる

みすぼらしい理想郷で小さく生きている

 

好きにしたらいいんだよ。

 

愚か者には早々に死が訪れるだろう。

愛とか恋

愛とは俺の好きな言葉の中でも特に重きを置いている

その一方あまり具体的に説明を持ち得ないような気もしている

 

愛とは

要するに他者への信用だと思っている

自分も他人も常に移り変わっている

生物は分子結合の表象だから

絶対数を確実に捕捉し、完璧な理解というのを施すには

あまりにインターフェイスが繋がらなすぎている

強いていうなら水素分子同士が(正確には酸素分子も)緩やかな結合をしている"水"という状態を理解している、というのを愛と自然学的には当て嵌めうるらしいが

 

人間においてそれは身体的なそれもあれば精神的なものがある

言い得て妙な気もするが

それはそれで自然

 

で、思うに愛についてここまで重きを置くのは自分の経験が、主観における価値がなくてはならない

それはなんだろう、と思う

 

思うに、自分のこれは"相手を否定したく無い"ということだ

的確な表現を持ち得ないが、"自分の記憶の中にある肯定的な印象の相手"を否定したく無い、でも良い

 

つまり諦めの悪さ、とも言えるだろう

人によっては40年らいの慕情を従えて生涯を遂げる人とかもいる

そういう意味では自分の数年程度など、数字で例えるには大した指標を成さないだろう

 

なんというかまあ

世の中は平穏無事で、死んでもだらだら続くし

俺程度の些細な米粒がどう足掻いてもあまり意味はなくて

その中でもこの人はどうしても否定できない、信じたい

愛していたい

 

それ以外のものは、そのエネルギーを分散することを持ち得ないので

不可

それで孤独になると拍車もかかる

 

しかし、相手に報われない限りはそれはそれは無残な感情。

幸せになりたい。

仮説1

愛してやまない人の

愛される瞬間を見(まみ)えた

 

それは尊さというよりかは、安堵に近く

生き物としての安心

 

事実と比べると粗末な

表現技法を不足している

 

今日も冷蔵庫とガソリンスタンドが煩い

俺は君が好き