事実1

彼女とお別れをした

到底癒えない傷であり、誇りでもある。

 

家の近くに五月蝿い人間が来た

夜中の0時から2時まで、ひたすらに往来往来、オーケー、と

山手通りを騒然とさせるほど五月蝿い。

2回、一回は口頭注意をし、2回目は電話で注意を喚起した。

変わらず五月蝿い。死ねばいいと思っている

 

神経質なのは誰かといることで癒えた

それも今は一人だ

 

家の硝子を叩いたら壊した

修理費は4万円を吹っかけられて3万円に値切った

冷静に経費で落ちることを考えて安堵に浸っていた

今日、amazonの閲覧履歴を見たら

夜中に轟音を響めかせる冷蔵庫を買い換えようと思って見ていた

2流家電製品会社の3万円の冷蔵庫の履歴を見つけた

 

こんなものを買うのに人一倍悩むくせに

自分で叩いて壊したものの修繕には全く悩みを伴わない不思議さは

効率主義の無意識を意図させてくる

 

彼女と別れた次の日

痛めていた左足を骨折した

その日は格闘技の対人練習がかなり調子が良く

2回目で区切りがよく終わりにしようと思っていたのだが

隣に鎮座する先生に林くんやらないのか、と言われ

自分の意思とは反して無理にやった

 

それがバチだった

 

開始3秒ほどで、痛めている左足で相手の右脇を蹴ろうとして

ガードで出てきた相手の膝を蹴ってしまった

ちなみに相手は184cmある

怪我をしやすい体格差だったと思う

 

一番最初に感じたのは痛みとかより、

「ああ、終わった。」という無念な気持ちが先だった

「せっかく治りかけてたのに」という気持ち

悲しくて虚しくて泣けた。

 

ただ、実際に泣く事はなかった

アイシングして、先生の全く心配してくれないそぶりを悲しく思い

その日は靴も履けずに家に帰った

 

自転車で道を走っていたら

無邪気に危ない横切りをしてきた子供がいて

親がそれを追いかけるようにさらに危険な横切りをした

それに乗じたのか周囲の歩行者も自分のことを除け者扱いし始め

挙げ句の果てに真横から舌打ちを執拗に繰り返しされた

 

骨が折れていて、イライラすることがなく

通り過ぎた後にひたすらに殺意だけが虚しく感じられた

怒鳴り散らす力も残されていないから

あるいは小さいからこいつになら舌打ちをしても大丈夫だと安心されてるのか

だとすると格闘技を始めた理由を全否定しなくてはならないのか

 

そんなふうに不幸な人にひたりつつも

ひたすらに耐えた。

 

その日は、そのほかにも、たくさんの苛立つことがあった。

 

自転車で道を歩いていると

明らかに目の前の人たちがずれれば済むはずにもかかわらず

こちらに気づいているにもかかわらず全く道を開けてくれなかった。

 

かなりキレそうになったのに、骨が折れていて無理だった。

 

 

夜には、仕事で思い出して一つ連絡をしたら

急にお叱りを受けた

 

普段なら多少斟酌してすいません、と柔らかく返せる程度の

些末な蟻の戯言だったのだが

それすらも当時の私には響く。

 

無理だ、と思ったらカーテン越しに隣にあるガラスを叩いた。

コミュニケーションとか言うものの正体

コミュニケーションとは

自覚だと思う

 

自覚というのは

知覚していく物事を、自分という枠組みに入れるかどうかである

 

自分というのは、目で見たり耳で聞くものの集合体だ

 

自覚して

自分かそれ以外という意識になることでコミュニケーションが発生したのに

愚かな選択

振り返れば自分が

間違いと言われても否定し得ないような

(誰に?だが

自分である)

くだらん選択に浸り続けてみている

 

くだらなかったものは

新卒1社目

2社目にいた頃の自分の思考回路

現在の全般

それより前

まだ生き生きしてた

愚かな?とはわからないが

それなりに自然の法則通り

私の私

私と

 

 

 

私のカルピス

希薄

 

 

 

社会には適応しなくてもいい

諦めた方がいい

好きにしたらいい

どうしても頑張っちゃうよね。。

それなのに。

 

それは、社会的体裁を保ちたいからではなく

(長年そう自分も思ってた)

ただそうする、家庭環境の余震

母の生真面目さを好いてるだけの

素晴らしいこと

splendid, magnificentだと

笑えているうちは

私はまだこれから適応してしまう

 

 

それは後戻り出来ない

緩やかな負け

難しい死

 

堕落に堕落を費やして

私は私でなくすることを

唯一の

 

"私"

 

堕落する

夢幻

平面な知覚

頼りになる

立体のマテリアルの方が無限に広がる

感覚の知性を通じた表現

限界の束縛

無限に広がる夢幻に耽る

耽って耽って浸っていく

夢幻の彼方には解る

なるほど!

感覚

大切なのは感覚

眠らない感覚

譲れない知性を

猫に食わせたらいい

negaigoto

今年も終わったなんてキレイな言葉は漏れない

いつまでも生き長らえて生き長らえて

それで幸せなのか僕は

今が一生に一度の大切な時間だと忘れてしまったようだ

 

あの人が幸せになることを願う

俺は俺の幸せになることを思う

心苦しい話をしてみよう

生まれてきたこと自体価値が無限にある

分かっていても分からないだらけではある

それでいてなんと家畜らしく死ねば死ぬほどに

美しいと鬱苦しいと重複する

 

己やら自我とやらを大切にしようとしてしまい

自然という調和の取れた物から心苦しくも離れていってきてしまったようだ

明らかに川の流れを流すことなく足りていない

多分そんな難しく考えなくとも良かった

難しさは人間の人智を超えた

自由とは合理と獰猛の狭間だと思う

獰猛さとは果敢に勇猛に立ち向かうこと

合理とは勝ち負け

 

腹が空けば、三大欲求に超過や減少さえなくては

わりかしに平均的な、穏やかさというのの自然を味わうこともできたが

 

それにしたって今回は、宵の月さえかなりに朧げに形をするお前は敵ではなかったのか

月が味方とは一体

そんな感じで空気というものの信用を私は少なからず残しているが

相変わらず現実というものはそこまで神経質に研ぎ澄まされていないから

私にとっての大切な空間というものは、いとも簡単に大切な人に壊されるのだろう

 

そして他人すら大切にすることが余りに長大な行き過ぎた超過欲望であることが私にとって受け入れ難いことであることも、私にはわかる

 

そういう。自然とはかけ離れていることの不自然さとか調和の取れなさとかそういう

幸せって言葉には現れないっていうそれくらいの当然の話っていう

まっとうに生きていることすらが今となっては美しいようだ。

自然とは価値の宝庫で、争いによって生殺与奪していかれてしまうらしいが

 

余りにそれは醜く、私は少し心が痛む。そういう苦しみを分かってくれ皆