地元、とか友達とかの定義がいまいちわからんのですが
その根底は育った場所の人間関係に依存するんだとおもいます
おおらかな環境で育ったのならおおらかさを
個人主義に揉まれたのなら
あくまで様々な外的要因との自分との相談
で、何が言いたかったかというと
小学校の頃に
周りと全く会話が噛み合わなかったなあことを思い出したのだ
なんというか、きっと僕の価値観はやんちゃなガキっぽさと悪ガキさと勇気と、真摯な情緒で培われており、周囲の人間は、今も変わらず(それを知らずに不安に駆られたわけだが笑
ウェイウェイしている
なんか気づけば自分の居場所をどこにも見出せずにいた
友達とはなんだったのか
なんかこう、会話が噛み合う素地がない
どことなく皆周りに無関心なのを平均
当たり前
自分中心であることの当たり前
そうやって生き続けられる世の中も
東京も
杉並区も
その学校も全て嫌いだった。
人間関係もだし、学問も
悔しいね
そういったことに憤りを感じている