なぜ不整合が起きるのか

 

 

人の価値観を科学的用語で説明することは難しい

ギリシャ古典のように対話型の方が案外輪郭が研ぎ澄まされることで本質的なその人を表せる

 

人間関係は必ず1人では成立しないので

相互作用によって起こる

 

 

好ましい例ではないが

例えば最近の日本で起こってしまいがちな、無敵の人と称される人害による無差別な傷害事件などは

関与する人は1:nだが、責任ないし、コミュニケーション・関係としては99:1である。

一方が勝手に暴力を自分勝手な理屈で振り翳し、無抵抗の無関係な人間を巻き込むので、巻き込まれる、という点での1が存在するだけで、実質的には100:0と言ってもいい

 

他にはどうだろう

誰かが告白をし、その相手はあまりその人に興味がないとする

この場合は恋の熱量、みたいなものを定量値として考えた時に

告白をする側が70で、それを受け止める興味ない側は30とかだろうか。

 

結婚した夫婦はどうだろう

割と50:50に近いんじゃないだろうか。あるべき姿的には

仮にそれが亭主関白とか、かかあ天下だとしても、

お互いが合意、納得、できていれば50:50

パワハラモラハラ、お互いが不合意・納得できていなければ最初の話に近い数字になる

 

 

そんな感じで私が50:50になりたかったのになれなかった話

過去を辿ると、自分なりの価値観も記せるが

親との関係は長くなるので一旦省いて

 

彼女と50:50の関係に目指せないかなと思った時のこと

最初は、圧倒的に自分が8か9の割合で押して、向こうがまあ選んだるよ、くらいの感じで

あっという間にフラれる

まあ悲しんだけど、そもそも恋を深く知らないし

傷ついたけど、受験とか色んな言い訳で身を隠していた

 

大学に入って、実は誰からも認められず、関係を求められず、

いや0ではないにしろ、やっぱり誰からもわかってもらえないんだな

なんてことを思って1年が経った

そのころは、仕方ないから、しょうがないから、社会に溶け込もうとした

それ以外に居場所がないんだからね。勉強も仕方ない

価値が上がれば誰かに認めてもらえて、生きててよかったと思えると信じて

 

早稲田くらいで良かったなと思うのは

これ以上頭良くなると、もう人とは心の底から分かり合えない前提で

生きていくしかないと思ってしまえそうだから

ギリギリ、というかむしろあんまり賢くない、

周りの人間関係のおかげで、自分もそこはなんとか

 

これが秋田の公立大学だったらもうちょっと純な心持ちになれたのかどうか

広島生まれの私にはまあ、言い訳だけど

 

とにかく嫌な家にいて髪も染めてでも心はまあ空虚で

何が早稲田だよって感じの空しい

でもエネルギーだけはなんとかって感じの空っぽの私

家で朝まで面白くもないゲームをする生活

しんどかった

 

夏場に声をかけてもらえたのが幸運だった

それがなんでなのか私には押し測れないけど

あとそれが好意と勝手に解釈する自分も今思うと自由だなとも思うけど

 

まあそれは彼女にとってはそれがコミュニケーション

または武器として、そういうやり方だったんじゃないかなと

 

自分の預かり知らないところで、たくさんの何かがあったんじゃないかと

 

そんなわけで光が丘で邂逅したのは巡り合わせたのは偶然

有り難かった

 

いや、今にして思うなら、お互いに、そして社会もまだ空白と偶発性を孕んでいた頃で良かった

 

かもしれない

お互いに空白で、タイミングがたまたま合い

自分が勝手に、空虚なりに攻め

向こうも何がきっかけかはさておき気に入ってもらい

時間はかかったけど受け入れてもらい

 

そこには、やっぱり既にというか

があったのだと思う

 

付き合いたての自分は、やりたいこと全部を提案し、実践し、行動し、

押し切り、受け止めてもらい続けていた

 

逆の立場で考えるとどうだろう

自分が女性で、一度振った高校の年下の男の子に連絡をし、

またアプローチされ、どうしようかなーと考え、

いやいや、わからない

 

自分なんかどうでもいいと思えないと

わざわざ選ばないのかもしれない

これは自分目線

 

そんなわけで、

どうでもよかったであろう、故の、故に?

選ばれし自分は、そうも知らずに好き放題に愛た

 

愛でて愛でてくらえ、これでもか、と言わんばかりに若さを放出した

それは苦しくもあり、楽しくもあり、幸福を知る時間だった

 

生きるにはこんなに多彩な色があるんだと

知ったのは彼女

 

表面的な関係性では決して得ることができないはずの

 

そしてそれを教わったのは彼女がそれを先に知っていたからで

自分はいつも地球儀を観測する側だったのである

 

 

で、悔しくて?嫉妬して、劣等感から

よく歯痒い思いをして、光が丘で少しやっていた塾講師の際も

しんどくてよく辛い思いをしては、中学生の生徒たちに心配をさせてしまうこともあった

あれは付き合って1年弱くらい経っていたんだろうかはたまた

 

好きという気持ちを受けとめてもらえることが

ちなみに初めて受け止めてもらえたな、いや、

体で感じてもらえたな、と思ったのは温泉地であった

 

それは、別に自分だから、ではなくて、つい、という感じだった気もする

そこまでは、彼女は、わからないから、相手のなすがままにされてみようくらいの

自暴自棄さがあった

 

だからなのか、自分を好きでいてくれてありがとう、という風になるのか

 

わからない

 

だから彼女との思い出を過ごすと、楽しい

大変な時期は、全く伴走しきれなかった

二人三脚が不成立していた

それはもう、ここまででわかる通りだ

 

自分は好きだー好きだー

一方通行

 

彼女は好きとかよくわからない(羨ましい)

受けてばかりで何が自分かよくわからない

 

そんなスタンスで、適度な問題が発生した際に

何か超えられる方法があろうか

 

そして、地球儀を与えた別の人に対する思慕、

そう思うのは言葉遣いや表現からであるが、

そう言ったところで

いつも自分は

愛させてはもらってるけど、大切にはしてもらえてなさそう

彼女が大切にしたい、と思った時はわかるけど、

そのリズムは、自分とズレているというか

 

自分が愛させてもらっていること自体は、別に感謝に値してなさそうなこと

それは重々承知していたし、仕方なかった

繋ぎ合う方法も技術もノウハウも何もないのだから

があるから

 

 

で、彼女はフラットに、なんだろうなーと感受し

いざ問題が発生した際に、自分は

やっぱり彼女と彼女の関係性の中に自分は十分に価値を発揮できていないというか

若い恋人、とか言われる程度には軽い存在なのだな、と思う

 

それはしょうがない

そうやって始まったことだし

 

彼女が恋したう誰かがどうでも良くなるには時間が必要

離れる必要

そして戦う必要

それは彼女に当時伝わっていたのか不明だ

 

自分なりに1か2週間青梅で泣き腫らしていた

 

結局その間、会話を通じて適切に通じ合えなかったのが

ちょっと距離を取ってみるのは?と提案してもらったのが

もうそれは本当は適切な提案なのだけれど、タイミングとしてはもう

自分の心が完全に辛くなりきっていたせいで発作的に、脊髄反射的にNo

と発したのは、やはり後悔しないわけにはいかない

 

でも、やっぱりそういうズレ、も差以外にあったんじゃないだろうか

提案のズレも、やっぱり根本的な恋やら愛やらの差、によるもの

本当に大切なんだったらもっとちゃんと会話をし

ごめんを言い、歩み寄り、あなたの人生に付き添いたい

そう思っていたいはずだった

 

自分よがりな意見になってはいないだろうか

 

 

 

 

それで、仕方なく

私は3週間としないうちに

死にたくなって他の女性に逃げ

安心

でも、心の底には、病気が宿っている

 

いつまでも泣くのは良くないと、気持ちを切り替えようと

スッキリしようとしてもなかなかうまくはいかない

 

そういえばRHDのUXデザインのインターンで優勝した頃

東京駅に青梅から電車で通ったりしていたような、大塚だったかな

気がするけど

あの時はまだ他の何かに没頭できることで、自分らしさを確認できていたような気もする

 

彼女にゾッコンになればなるほど、The 若きウェルテルの悩み

みたいに

死にたくなるのであった

 

24の誕生日の日に、彼女がそれを忘れている状態で出会い、

今日は俺の誕生日だよ、と国会図書館で落ち合った時は

凄くしんどかった

 

車を借りて日帰り温泉施設に通った際に言われた、そろそろ彼氏でも作ろうかな、と言われた時に、俺はなんなんだよ(笑)と冗談混じりに心が吐血したのを覚えている

 

本当に好きだったらそんなこと言いますか

いやでもまあ、自分も非があったから言い返せない

 

自分も自分で、未熟で、大人になるには時間が必要で

多少は察されていたのかもしれない

そのための養分、なんて言ってしまうのは最低で、すが

実際に脳を成長させていたが23-4だった気がする

 

そういうのがあったせいで、傷つける対象として扱われたような気がしてるけど

実際どうなんだろうね

 

そんなわけで、自分が折り返し地点に着いた頃には

彼女は社会人になり、当然その数年の間に彼女にもいろいろあり、

やはり、別れて数年離れた、という事実が、

ある意味で、もともと、&関係したことによって

自己愛、いや自我、アーティストとしての本能、

自分、を強くさせていた

 

だから、自分、を強く当てられ(たと感じた)

自分は、選択肢の一つなんじゃないかなと思って

本当に俺のこと幸せにする気ある?

と言った

 

本当に大切なんだったら

自分のリズムだけじゃない

相手の歩幅に合わせないと

でも、それが当時の彼女にとって出来る限りのことだったのだとすれば

それを自分が足りない、と認めたのであれば

それは敗北だったりする

 

負けさせてやろう、なんて思っているわけがないのに

勝者になろうよ、関わるなら幸せに

そう、なぜそれが伝わらないのだろう

あの時に

 

喧嘩になるのは心地よくない

それで、離れて、全然自分の知らない誰かになり

それでおしまい

 

その割には自分はやっぱり愛情?未練?

記憶の克明さかな

それによって今でも未練たらしく尾を引いている

 

それは向こうみずで、勝手で、仕様がない

 

適切な関係性は今までに記したとおり

俺は、誰かと繋がって、幸せでいたい

その時に、自分も幸せでいたい

それが出来なかったのは

私も残念

 

でも理由が克明にある

 

お酒を飲んで応援したい

でも、辛くはなりたくない

 

自分が自分の問題で死にたくなるのは

風邪の時に意味もなく、宮沢賢治の二番煎じのような歌を歌うのも

仕方がないどうでもいい自分だし別に

 

誰かに費やしたい

 

 

予想外なことならたくさんあったけど

思慕の念をこれだけ抱いた自分に凄いって思いたい

履き違えたり、勘違いしたり、ミスったり

色んな間違えを起こしたけど

ここで死んだらお払い箱だけど

まあ

 

存外案外人を愛でる力には長けてるらしい

問題は必要とされないこと

自分を必要とする、自分の好きな相手がいればね

幸せだね(明後日の方向を見て)