個人事業主になって6年目になった
いよいよ法人化(笑)なんていう
慶應義塾みたいなことをしないと
いけないくらいには社会に真っ当に
向き合ってきてしまっている
実生活はそんなことないのに
慣れない電車移動はやはり
私は絶対にマイノリティであることの証明
97%の人とは分かり合えないだろうという
期待と落胆の神経伝達を小脳から感じとる
こんなことを毎日やるようなサラリーマンなんて
もう同じ人間だとは思えません
そういう現社会に降り立つと
疲れる
一番しんどい時に助けてくれる何か
がなかった人は、人を愛せないとかいうけど
確かになあ、と思い込む
そういうノーロジックなバカな会話にも
抽象的に納得できてしまう自分の愚かさが東大ではないなーって思う
新神戸駅は何回か来たことがある
3時間の移動で疲れて
適度なノリの神戸人にも気を配らず
東京の冷めた人間らしく移動する
昔はお土産を買うことが
その土地の名物を食べることが
なんとなくいいことだと思っていたが
今となっては別に
高タンパクで体にいい食べ物であれば
別に名物にこだわらない
むしろ名物とされるもの、あまりPFCバランスがアスリート向けではないような
自分が生きている心地がしないというのは
ある意味で、それが人生の始まりでは
という解釈も出来てしまうんだなーと
残念なことに
多分別に、そう信じないと生きていけない人もいるし
そんなこと信じないで快速急行的な快適な人生の暮らしに満足^_^な人たちもいるんだろうし
そういうやつは東大か慶應でも入って
MCか外銀でも入って
ステータス貫いて生きていれば良い
自分はもともと
温厚な親の子だし
都会の子じゃない
都会で育った田舎者だし
都会を好んだ試しがない
好きだった子もやっぱり
都会的だとうまくいかない
あんなにこざっぱり合理的にジャッジし得ない
とにかく皆が尖って怖い
しかしまあ戦う術をそれでもなんとかして
身につけてここまでやってこれたわけで
頭打ち
あと5年も同じことを続けようとは思えなくなっているんだ
海外移住も考えたけど
最後の一手で踏みとどまった
大切なものとのバーターで考えて
中野新橋のジムとその人間関係を
捨てたくなかったし
なにしろ何がしたいのかよくわからなかった
ただ強くなるだけなら
大企業で働いてたらいいけど
そんなくだらねーストレス耐性は田舎者の俺にはない
生存戦略的に仕方なかった
もっと稼げてもいいのにな
今思う
もっと人と仕事がしたい
結論、信じられるのはビジネス的な関係性のみで
信頼なんてもんは本当は
どこにもない、ってくらいには絶望感を自分なりに噛み締めて生きてきた
その上で人に期待をしたい
人が中心であっていたい
救えない人間の多いこと
それはもう無理
どうすれば
自分は
失ったものを愛でて長い間生きてきたけど
それも終わり
置物として心にはいつまでも玄関に置いてあるけど
出掛ける先は別
主戦場となるのは世界で
やっぱり僕は人の言葉を借りて
自分では何も書けてない
助けて
自分で生きる
自立する
誰の力も借りない
だからビジネスを
人生を
再構築するための
終わった物語からの再起
でも軸がない
ブレない
ブレない
人に投資する
人に大事にされる
には、人を大事にする
友情なんて甘くてかったるい幻想
放っておいていい
大事なのは
ビジネス
結論
結果
美味い飯食えずに死ぬのに
その人を愛しているから共にするなんて馬鹿げている
本当に愛しているならいい
ただ、大体の愛は嘘っぱちである
人間そこまで綺麗に出来てない
愛情を墓場まで持ってけてる人、本当にいる?
俺は知ってる
お前、知らない
戦いたい
大切にしたい
失ったもの
時間の経過
今も経過してる
自分は経過してる
終わろうとしてる
でもお母さんがいる
助けてくれる信じてくれる
家族
信じている
戦っている
わからない
わからない
私には
感謝しかできない
ただ不気味なダンスを踊って
奇怪で無様で
踊っていて
周りからは障害児扱いされる
それが心地いい
ああ、自分のことをよく分かってくれてる
皆
IQは俺の方が上
ごめんな