焦燥

これだけ多くの人間がいるのに

結局大切な人は一人か二人、家族や親戚を交えてもせいぜい五人か六人

その程度が多くの人間の愛せる限界

そこに外れを入れたくはないのは皆の所与の条件

 

若い頃はその境界線が薄くて

誰かを家族のように愛してみたり

それで失ったり傷つけられたりして

だんだんと現実の残酷さに慣れて

相手にも自分がされたことを平気でするようになり

 

だんだんとエスカレートして無関心のるつぼにハマっていく

 

自分の生活圏が、ピースとしての補完関係が完了すると

安定した顔になる

何不自由ないといった

ストレスは幸せのうちですわ、みたいなことを口にしたりする

残酷な現実に目を伏せて、可哀想だなー彼らは戦っているな

なんてみながら手を差し伸べたりしなかったり

 

そこには自己の安定から生ずる

向こうからすればある種の不快感なんじゃないかと

自分ならそうだと思う

 

どこぞの映画監督がアメリカでホームレスをしていた時に

金持ちの若者にお金いる?と声をかけられて

いるかよ、といって、そうだよね、と笑ってどこかへいく

少し時間が経つと貰えばよかったって思ってしまう

そんなやりとりを思い出した

 

お金、何不自由なく生きるための通行手形

幸せ、邪魔されたくないもの

やりすぎると、パーソナルスペースの境界線を強固にするもの

それもまた歳をとるにつれて変わっていくんじゃないか

 

 

 

そうそう

自分は本当に孤独を味わった時に

誰からも助けてもらえない時に

格闘技を始めたんだった

依存しようと思った

それによって自己が安定したから

今思うと必要な、約束手形のようなものだったんだろう

戦って得たものはたくさんあった

自信、身体、健康なコミュニケーション

失ったものもあった

繊細さ、異性への興味、悠久の幸福感

 

どちらがいいかなんて

振り返れば後悔かもしれないけど

やっぱり必要だったんだから仕方ない

歳はとるし

無関心の眼差しに殺されたりする

これからもたくさん殺されるんだろう

それに耐えられるようになったのは

振り返って後悔しなくても良いんじゃないかとすら思える

 

嫌なものは相変わらず多い

戦えるうちに戦いたい

個人事業主の風呂敷は今年前半くらいで畳んで

会社員としてぬくぬくとソルジャーしたい

もちろん必要とされるかわからんけど

あんまり微妙な会社に入るくらいならまた考えるけど

社会との接続を、24歳の頃のやり直し

6年経って強くなって遅れたものも手に入れ直し

いつかきっと

そうやって