雨の中の葛藤

日本特有の偏西風の仕業で、今年も低気圧が訪れた。

朝から爛れたロウソクみたいで、何にもやる気が起きなかった。

いつもの時間になったので、近くのハンバーグ屋へランチに赴く。

口にするのは

コーヒー(薄味で旨味とコクがある)と糖分(砂糖を5~10g)

ブドウ糖

動物性蛋白質

緑黄色野菜(コーンの小皿、インゲン5本、2~3cmに輪切りした人参二切れ)

眠気が取れて、疲労感も解れてきた。

 

年相応な快楽に耽った後で、ふと時間が余った時

「何か仕事をしたいな」と思った。

 

会社をやめて8ヶ月近くが経っている。

あるときは就労施設に通い、あるときは海外放浪し、

今では個人事業主という名の変わった職種で働く。

 

しかし仕事の仕方には、相変わらずしこりが残っている。

週5,6日が休みなので、ついぞ暇を持て余す。

 

当初は、こんな変わった生活を送れば、何かが変わるんじゃないかと思い、頑張って何もしない事を続けてきた。

 

が、そろそろ何かしなくては

そしてそれは今までとは違った何かではなくてはならない、というような漠然とした気概が生まれている。

 

自分の道理にかなわないような事、

不足していないのに手に入れようとする事、

それは価値観と相反するから、なんとかしてやめなくてはならないが

かといって何かをすることの恐怖もあり

 

何かをするには、何が適切か、を考えている。

わかってても

変えられない

出来ない

解らないものがある

 

例えば

自分は自分の偏見を

気づくほどに嫌な人間であることに自覚することになるが

そのことを瞬時に理想へ置換するほどの強さはないし

好き嫌いの排斥性の強さを自覚したときの己の矮小さについても

いくら尊んでも尊びきれないくらいに無自覚でいられてしまうこと

 

 

人生とは生き急がない

川の流れだと信じ

そう生きるのが大切と言い聞かせ

好きなことに身を任せるのを大切にしていたいなと、思っている

エネルギーのこと

私は個人の能力パラメータは

生まれながらの遺伝子に依存して

上限設定が行われているものだと信じている

 

例えば、背の高い親の子は

背が高くなりやすい、とか

 

今ふと書いてみて思ったことは

別に親の背が低くとも高く育った子はいるし

それを突然変異だって言うんだ

 

私はただ、親からの遺伝情報を適切に受け継いだから

あまりにも親に似ているな、と思うから

そう信じている

 

で、まあ何が言いたかったのか本題だが

私は変わりたい

ようやくそう思ったのだ

 

最初のエネルギーが最も価値のあるものだって思う。

 

ちっぽけな価値観でも

矮小な灯火でも

それが育てられるかは誰にもわからない

 

ただ可能性を信じて少し

少しだけ

変わることを抑えていけないと

信じる

私の嫌なこと一覧

不合理的な社会ルール

・9-17時勤務→成果報酬型にしよう

・時間給(場合による)→成果報酬型にしよう

・人事制度→属人的過ぎない?

・本当にやりたいことでも無いくせに、地位や名誉ののためだけに他人の時間を奪ってまで事業推進する人

 

コミュニケーション

・細部に目が行き届いていない

・嫌なことに嫌と言えない

・高圧的

・年上の人に対する言葉遣いがなってない

 

外見

・清潔感に欠ける

 

 

少ない!