輪郭を伴う速度について

自分の考えが、こういうものだ、と理解するには

いつもまず感情で喜怒哀楽が発した後に、体系だって理性ないし言語をもってして内容を把握しないと、

自分がこうした状況に陥ったのはなぜか、が腑に落ちない。

腑に落ちないと、迷走するのが人だから

迷走しないよう、自分の迷走をコントロールするわけね

 

例えば15や20で悩んでいたことなんて

やっぱり年を取って輪郭が鮮明になってきていて

その瞬間瞬間に理解し解決できることは人間の苦手分野なのだと思った

というよりかは、人間が再現性の低い生き物だから、

他の人の知恵をイカス、っていうことがままならないのだと思う。

 

優しさについて

相変わらず人に優しく、人に優しくを訴えてかけ続けている

何か私にとって何かに没頭すること

というのは一過性の(ある種それが一番正しいのだが)

集中というもので

必要とされればいいけど、されなくなったりすると地獄

うまいこと自分のやりたいようにやる

金にならなければ趣味で

金になるなら仕事で

そういう風に皆自分のやりたいようにやろうとする

それ自体結構なことだし、誰かを傷つけたりする総量は減るだろう。

いいんじゃない?私は絶対に嫌だけどね

仕事っていうのは自己表現の場

挑戦せずに、というよりかはそんなちまちましたつまんない、凡人感性で

しこしこ生きるより

やりたくてしょうがないことだけをやって一生懸命あくせく働いていた方が幸せだと

思うので

自分がありたい、と願っているこの感性を何と描くべきか

それに近づく情報や経験をもっと踏まえたいんだと思った。

だから海外に行きたい

イライラ

精神が不安定

楽しいことだけやると

目や耳が磨耗する

ゲームに依存する

依存するのは間違いと子供の頃に教わった

あれこれ勉強した

勉強しなくてもわかることだらけだった

出来ないことは人のせいにした

できることは無くなっていった

できることを生業としたくなった

できることとは何かわかりづらい

楽しかった

楽しければ磨耗も良いと思った

体にガタがくるのは

楽しいけど疲れたからなのではなく

楽しいことをしないとやっていられない身体にしてしまった自分の理性自身の問題であって

理性のコントロールには社会適応と非適応、個人最適、バランス感覚の欠如、神経調和

様々あるだろう

自分の使いたかった時間の過ごし方に違和感が疑問が

あるのは

きっと理性的

 

耳鳴りが止まらない人生は嫌だわ

御園台

東京物語を好いて瀬戸内海にはまり

合っている確信を得た

20歳になりたての初めての異性交遊を始めた頃の話

高円寺でたまたま見せられた映画

自分に意志薄弱で人に与えられた機会を活かしてこなかった

から

当時の安息の感触が変わらず残って

彼女はたまたま

好きになっただけの私を大切に他人の扱いを譲った

何処かへ行ってしまいたいという気持ちが

どうにもならないこと

どうにもならないこと

諦めとか才能は勘違いとたまたまだとしてもそういう形だ

あの時流れてた穏やかな心と快感が今も自分を枯渇、渇望させていたこと

大切だと思ったら守りたくなるもの呑気に過ごす時間のこと誰かを守ること

無理の意味なんか必要ない

必要が無理に勝る

必要かなくなった

どうしたい?

御園台

生まれ育った所

本来あるべき場所

20年違和感だったのがようやく打ち解け合い

感性を邪魔してたって気づく

誰かに迷惑

かけてでも自分の居場所を守る

のか

いつかやりたいこと

輪廻の

彷徨う昼と夜のストーリー

命つないで

朝もやに煙る ほとりに佇みながら

耳をすまし 聴くのは

 

永遠を信じて 歩みを止めずに

別れるため 人は出会う

 

戸惑う生と死のストーリー

愛を紡いで

夕映えに光る 川面を見つめながら

 

遥か昔に 誰かが見た夢

僕達に宿り

明日へ向かう

大切だと信じてみること

私は、人に分かられる話し方が嫌いらしい。

自分の感性の方が優先してしまうので、周囲からは自己中ヤローだと認定してもらう。皆自己中なのになんで我慢しなきゃならんのだよ、とは言えない。大切だと信じていたものが誰かに奪われそうな時、自己中な素振りでは救えない。誰かを説得する力を持ってないと、自己中は死に至る、確率がそうでない人より高いと思う。自己中というのは、自分の感性を愛することで、それは決して何も悪いことではない。皆自分を愛したくて生まれてるのだ。生まれたからには。誰かを愛するにはまず自分が一番愛せなくてはならないから。そして愛というのは甘やかすことではなく厳しく時に甘やかすくらいのものだと思う。8:2の割合で。

自分を厳しく律せない自己中ヤローは、単なるゴミクズである。私もゴミクズだと思う。

どちらかというと問題は、自分が良くないと感じる自身の課題を、蔑ろにしていることにある。今のステータスが客観視出来ると、あとはどう磨きたいか、どう登っていきたいかだけが残る。

ダラダラと過ごすには人生は長すぎ、自分を磨くためなら人生は短すぎ。とにかく攻めないと。

最近、特に今の環境に、甘えている自分を自覚している。

お金の使い方も分からない上、借金もしてる。自分を正確に認められていないから、誰からも愛してもらえないし。つまりそれは自分の選択が間違っていたと認めること。

あとはもう書く必要も無い。のだけど

とにかく意味ないな、これ、と思ったら辞める

でもやりたかったこともきっとあったはずで

それについて反芻してみる。何が良かったか、悪かったか、自由はいつまでか。お金のやりくりは、家の管理は、実家に帰るのか

いつまで旅を続けるのか

30歳になったら、きっと体にはガタがくるだろうし、そろそろ周りも結婚し始めて焦り出すだろう。結婚したいけど、あと5年ちょっとで出来るのか、目標は?

 

目標というか、何を大切にしたくて今この感覚を大切だと思えているかを、今一度確信してから、退職するのだ。お世話になってきている方へ恩を果たす為に。そして彼らがもっと私の世話をしたいと思ってくれていることについても。出来る出来ないを答えにするのは、間違ってない、けど、愛する愛さないは違う話だ。見えてない感謝を伝えきれてない言葉をありったけの想いで表現しないと、自分に納得がいかないだろう。そうだろうそれは君のためではない。誰かのためで

君が決めるべきこと

記憶がスタート、緑の葉と間から注ぐ陽の光。揺かごの中か、幼子の記憶か、慣れきった感性に救いを求める壮年でも。楽をするということはそれでそれなりの体力を、カッコつけたり人のためやったり周りは綺麗で気にしたくなくなるよ

逃げるのではなく、どこかへ行ってしまおうの方が近くどこかに何かあるんじゃ無いかの期待というロジカルシンキングから離れた喜び

天才肌とか言われる所以は何か勘違いの他

努力肌とか言われて嬉しい人がいるダロウ

スタートは常に

失うを知る 喪失感

前向きだから0

誰も、お前を求めてはいない