大切だと信じてみること

私は、人に分かられる話し方が嫌いらしい。

自分の感性の方が優先してしまうので、周囲からは自己中ヤローだと認定してもらう。皆自己中なのになんで我慢しなきゃならんのだよ、とは言えない。大切だと信じていたものが誰かに奪われそうな時、自己中な素振りでは救えない。誰かを説得する力を持ってないと、自己中は死に至る、確率がそうでない人より高いと思う。自己中というのは、自分の感性を愛することで、それは決して何も悪いことではない。皆自分を愛したくて生まれてるのだ。生まれたからには。誰かを愛するにはまず自分が一番愛せなくてはならないから。そして愛というのは甘やかすことではなく厳しく時に甘やかすくらいのものだと思う。8:2の割合で。

自分を厳しく律せない自己中ヤローは、単なるゴミクズである。私もゴミクズだと思う。

どちらかというと問題は、自分が良くないと感じる自身の課題を、蔑ろにしていることにある。今のステータスが客観視出来ると、あとはどう磨きたいか、どう登っていきたいかだけが残る。

ダラダラと過ごすには人生は長すぎ、自分を磨くためなら人生は短すぎ。とにかく攻めないと。

最近、特に今の環境に、甘えている自分を自覚している。

お金の使い方も分からない上、借金もしてる。自分を正確に認められていないから、誰からも愛してもらえないし。つまりそれは自分の選択が間違っていたと認めること。

あとはもう書く必要も無い。のだけど

とにかく意味ないな、これ、と思ったら辞める

でもやりたかったこともきっとあったはずで

それについて反芻してみる。何が良かったか、悪かったか、自由はいつまでか。お金のやりくりは、家の管理は、実家に帰るのか

いつまで旅を続けるのか

30歳になったら、きっと体にはガタがくるだろうし、そろそろ周りも結婚し始めて焦り出すだろう。結婚したいけど、あと5年ちょっとで出来るのか、目標は?

 

目標というか、何を大切にしたくて今この感覚を大切だと思えているかを、今一度確信してから、退職するのだ。お世話になってきている方へ恩を果たす為に。そして彼らがもっと私の世話をしたいと思ってくれていることについても。出来る出来ないを答えにするのは、間違ってない、けど、愛する愛さないは違う話だ。見えてない感謝を伝えきれてない言葉をありったけの想いで表現しないと、自分に納得がいかないだろう。そうだろうそれは君のためではない。誰かのためで

君が決めるべきこと