こんな人になりたい、と断言するのがとても恐ろしい
なぜかというと定義されるということは私でなくても良いという風に感じてしまうからだ。今朝読んだRADWIMPSの野田洋次郎の記事(映画「トイレのピエタ」のインタビュー)も同じようこと言っていた。自分にしかできない事がやりたいというのは、至極まっとうな欲望であると感じる。
ちなみにRADWIMPSのことを調べたのは昨日見た天気の子という新海誠の映画を見たせいだ。私は長いことアニメ好きなので見る前は今作如何と思ったが、見た直後65点〜色々思い出して2満点〜!というテンプレ(があるらしい?)然り、私も時間が経つにつれあれこれ見直してきた。話が逸れそうなので少しだけにしておこう。
と思ったが、確かにこの話は今回のテーマとそこまでずれがないので、改めて書く。
私は昨日天気の子を見てそれはそれは感動した。
まず、秒速5センチメートルを18歳の時に見て、うわぁ、なんだこの胸糞。みたいな感想を覚えている。と言っても概要しか見ていない。中身は毛嫌いした。
で、その後言の葉の庭、君の名は、を見た。川村元気氏と昔働いていたリクルートという会社であった事があり(会社の期キックオフの登壇者だった)なんとなく、うわ〜うさんくさい、と思ったのが鮮明に記憶されており、
いつも新海誠作品に企画として名前を連ねていたため、私は結構苦手だった。
でも、彼の言っていることは至極正しかった。
例えば道端に何かきになるものが落ちていたとする。
彼はそれをポストの上に置き、注目を集めようとする。
そういう仕事をしている(いかにも抽象的にすることですごさを醸そうとする胡散臭い宗教的で苦手なのだ)と言っていた。
まあ、言わんとすることはわからんでもない。人の興味のないものに興味を持つという事は、ディティールを観察しているに等しい。
つまり、ある人にとっては「人間」でしかない隣の生き物も彼にとってしまえば「電車男」であり、「童貞こじらせ映画監督」である。
そういう風に、人が興味を持つ促進力という才能は、私は憧れる。
マーケティングの才覚と言える。
では、本題に入るが、
私は何か価値があると感じるものを広く広めたい願望がある。
それはなんでも良い。だからRADWIMPSのようにオリジナルソングを作れればそれでも良い。(実際はまだ好きな曲のコピー(シャルル)をAサビ前までしか作れてない。舐めんなという話だが)
そのために、何をしたら良いかわからないのだ。
いや、正確には熱中するためのトランジスタシスに欠いている。
言い換えるなら若い頃のパトス、情熱、やる気、一心不乱さ、そう言った青春的爆発、輝きを失っている。同世代にしてはある方だが、それでも無い。
私にも輝いている時期があった。17才の頃なんかは世界が俺自身だ、くらいにやっぱり確信した時もある。それくらい、物事の真理に近づけた気がした。
だからこそ相対的に、26になる今年、やばいな。と思う。
なんやかんやであれから10年間、一生懸命に生きたくせに、結果が無い。
結果というのは、さっき言った通り、"私が価値を感じるものを、誰かに広めたい"という願望だ。
例えばブライダルで日本一有名なサービスに携われたり、他にもあれこれタイトルはあるんだけど、いまいちそれじゃあ満足いかないのだ。
そこが彼らとの違いである。彼らとは、言い方が悪いかもしれないけど、名もなき素晴らしい市民のこと。
私はてっぺんを望む、欲張りな人間である一方、死ぬほど慎重で、臆病な生き物だ。それは自覚しすぎるほどよく理解している。
ので、あまりにも一つのことに固執しすぎる癖があり、私はいつも時代に取り残される。
映画作品なんかを見ても、時代は今、スピードと能力の掛け合わせ、それもデジタルに、実行するのが優秀とされる時代なのだ。
一方私といえば、スピードこそやる気さえ出ればあるものの、能力もなければ(ある部分はあるが、無い部分がない。求めているパラメータが飢えて、求めてないパラメータだけ増えた)デジタルなんてもってのほかだ(超アナログ人間である)
デジタルなんて吐き気覚えてしまう。こんな200年前後の歴史で名を轟かせる科学なんか、一体役にたつだろうか。人文科学系の人間らしい思想かもしれないが。私には自然科学を極めようとすることが困難。それはやはり扁桃体に縛られているかららしく、いくら理性的に考えようとも、感情が管理できずに爆破してしまうからだ。
そりゃ、ポケモン診断でマルマインと言われても仕方がない。誰か愛して四天王のあとまで使ってくれよ。
ということで、さっきの記事にも書いた通り、私には魅力がない。
魅力とは、人を求心する心の持ち主のことだ。
私にはどうも、人を寄せ付ける魅力がない。
だもんでこんな風に読んで欲しいと期待しつつも、読まれない事実を無視する。
希望だけが私にとっては価値だし、人類にとっても辛い時はやっぱり大事。
そういう風な作品を作りたいんだけども、その才能がない。
足りていない。だから、努力しないといけない。
では、最初に話に戻るのだけれど、
私は何になりたいの?
やはり声高には言えない。慎重だし。
でも、私は少なくとも、今よりももっとまともな人間にはなりたいって思う。
それは、誠実であるという姿勢的な面もそうであるし、人として美しいかどうかという観点でも推し量れるようなものだ。
デジタルな人間関係とは全く異なる、いわゆる社会一般とは隔絶された世界から、
それでも社会とは接点があるんだよと、訴えるような川村元気になりたい。
P.S.
もしかするとこの記事は、何者かになろうとすることが精神安定的に効果的かもしれない、という示唆をするものになっているのかもしれない気がする。やはり20代にはロールモデルが重要だなあしみじみ