生きるということ

死にたくなると、生きることが分からない

生きるってなんだ?認知・感じる・理解する・喋る

いろんなものが価値として存在するはず

それがなぜだか今は違う

なぜか?

性質とは。目立つこと、良いことなのだろうか。

目立たなくても、良い人がいればそれが一番じゃないだろうか。

なんか、差別が嫌いだ。戦争も諍いも。

でもとかなんとか言いながら、自分は諍いを起こす。子供な部分だってある。

生きることを真剣に悩んだところで、答えが出るとは思えないのである。

なぜなら、今生きているのだから。

悩むのだとすればそれは、死ぬことが完了した後にすれば良いはずだ。

悩みは、分からないことからくるから。死んだら、生きるってなんだったか、わかるだろう?

そういうわけで、私には相変わらず戦いとは無縁の世界にいたいって思っている。

し、それが一番だって心が叫びたがっている。

調和だとか平穏だとか、そういうものが欲しいんだ。

それは多分、諍いや戦争の意味を味わったことがあるから。

別にわざわざ戦争に行けとか、そういう話じゃない。

これ以上味わう必要がないって思うからだ。

それは危機管理能力といって。知らない人は知らなくても良い気質みたいなもの。

島国でのんびり過ごす人生がちょうど良いではないだろうか。

楽して生きて何が悪いだろう。誰にとって悪いだろう。それは自分にとって大切なことだろうか。そうでもないだろう。

楽せず苦しんで一生懸命生きるのが人生と決めたのは誰だろう。

自分が辛いからって人にそれを押し付ける人は何なのだろう。

才能だけで幸も不幸もすいも甘いも味わっているような人のことが嫌いだ。

能力がないからこそ死ぬほど自信を持って努力したのに、それを認められないってのは甘やかされだというんだろうか。そういう、価値観の話とか。

もうしてない。相手も居ないから、することもないんだろうな。

生きることってしんどい。そんなのはわかっているし、わかって居ながら毎日噛み締めていると思う。ただ、噛み締めすぎて死ぬような思いをしたってことだってわかって欲しい。耳が聞こえなくなったってご飯は美味しい。目が悪くなったってお金はある。

広島が負けてイライラするって思ってればそれでも生きてるってことになるだろう。

勝てば官軍なのはこの世の真理だろうから、考えても仕方のないことだよ。

自分が自分らしくある方がよほど生きることの重要性じゃないか。

誰に言っているんだろうこんな話を。まあ、理解してくれるようなしてくれないような。現実は甘くないって言ってくる人がきっとほとんどだろうと思う。

不幸に飲み込まれないように頑張りましょう