ひとよわ

延長線で思った

好きなタイプは何ですか?

の質問に対してはその人の、人に言い寄られたときに自分がジャッジする側になった時をシチュとして想像して発言している

 

いい子は多いけど悪いことするからね

悪いこととは自分に都合のいいこと

悪いことは認められたさによるものが多そう

枯渇してないと人は動かないからね

https://youtu.be/mbTnJJ62IUQ

なんとか研究所、youtubeで見つけたが浮気の定義がわからないし

当たり前のように会話が進んでくのがよくわからないけど好きの言葉の定義も彼らにとって曖昧らしいからそもそもこういう状態になるのだ的な連立方程式があった

つまり好きの定義を持つ

定義を持たなくても待つ姿勢や努力とか真摯な姿勢があるかないかが人間としての強さか弱さかだと思うけど

定義の意味も理解しておくこと

定義とは曖昧な抽象語で独自理解を促すものではなくて共通言語足りえる名詞動詞助詞で成り立つ形容詞や副詞は抑揚をつけるだけなので成る可くつけない

としたときに好きを例えば定義したときに

その人にだけ集中する

とか書くと分かりやすいのである

つまり浮気する人(この言葉の意味がわからないから???しか頭に浮かばないけど)というのは好きの定義を持っていないから

さっきの好きの定義が共通言語だった場合にそれを完遂することを誓えてないから(人間ってそういうもの)

そもそも複数の異性と同時期に交友することを浮気のジャンルにおさめようとする

ので

それはつまり弱い人間(自分の行動原理を言語に落とし込んで理解できてない)なんで自分はこれが好きなのか、とかこれは良くてあれはダメとか、その理由まで根本的に理解をしていない

できない、あるいはしたくない

のいずれかである

 

まあなのでその延長線上にあるのが結婚で

結婚の意味を持ててない人にとってしか結婚は成り立たないものなので意味を持たない感情の抑揚の場として定義しない限り発生する

結婚をする人は事実婚との違いを説明できない

何が違うのか、明確にしない日本の文化のため残っているのが結婚でありそれは人類史の始まりから追っていくと西洋の大昔のようなチンパンジーレベルの争いだってことも容易にわかるのである

笑ってしまう人間の弱さ

生きてるのが嫌になる

順調だ

全てが順調だ

お金はあるし

友達にも恵まれてる

嫌いなものも一定層持てている

夢(というか現実から目を背けること)から男に逃げる女

夢を見ず現実に向き合う女も

変わらない

ありきたりなコレクト欲求を満たす

飽きた

価値やこだわり何かに振り回される精神の在りどころに不安が生じる

口にしなければ天才だと言うような錯覚を感じる

つまるところ負けを知らない

負けを知らないのはいいことか

言い訳を許す勝ちに意味ないし

やればできるけどやらなかったの言葉に価値はないし

まあさ、そんな問題じゃあない

 

どうしたもんかと毎日禅問答を繰り返して

裸の女に興奮する野生の欠片に馬鹿らしくなって

それでも全部無くしきったら

今を生きても自分の中に生きても対して変わらない今は今だし

嘘ついてばっかの弱い人間が大の嫌いで

自分がやるせ無い

仕事に余裕が出来たらちょっとの余裕でこうなってしまう

何かこう人を傷つけるという行為に悪意を感じる

出口のない悪夢終わらない連鎖が死んじまえよと感じさせてくれる

いっそ死んじまったほうがらくだけど今死んでも特にいいことないし

年を取ってもいいことないの知っているし

人に甘えて生きるほうがらくだろう

その時来たら登り詰める先がいつまでも続くと思うな夢と愛

夢のかない方

夢が叶ったと口にすることは1人の人生でも何回あることでもない気がして

夢が叶った瞬間を捉えるなら微分すりゃいいと思うけど

夢が叶ったっていう人は何を持って確信したのか

自分の考えは人に認められた瞬間

何か人に必要とされることがあってそれを裏切って自分のやりたいことを優先して裏切ることは無論悪いことではないけれど

自分のやりたいことが達成されたら夢が叶ったのかといえばきっとそうではない

やりたいことをやっているときに

共感してくれる人がいるから夢が叶ったのだつまり承認欲求

さよならロマンようこそロンリー

ジダンが言った

背番号10はロマンだと

ファンタスティックなプレーをするチーム唯一無二の存在であるべきだと

だが今蓋を開ければ

ネイマール、メッシ、スアレスですら自ずからの役割を分担してプレーする

今のゴール(KGI)=得点なのだ

昔のゴール(KGI)=かっこいいプレー

心打たれるプレー、ではなくなったのだ

人の見る目は霧消

 

(野球…はどうだろう

実を言うと野球はサッカーに対して不確実性に乏しいから、さほど変わらないように見える)

 

音楽…はどうだろう

技術は進歩しただろうか

美術は進歩しただろうか

決してそんなことはない古びてる

ありきたりな感情の回路

陳腐な表現

便利になればなるほど僕たちは考えるのをやめる

そして美しさとはなんだったかを忘れる

失う

美徳とされる貴族階級の完全なる終わり

美意識の終焉

今何よりも最高で、この世で一番正しくて、神様で、気持ちいいのは""動いた""である

笑い草

頭のいい人が便利なものをつくり

便利になればなるほど

バカでも器用に使えるようになり

行動力さえあれば罷り通る時代がやってくる

バカが動けば金になる

ロマンは消えた

天才は消えた

凡庸が蔓延る

…夢がうしなわれた

これがぼくらの望んだ平等

 

蔓延るマーチャンダイジング

では感情はどこからきたか

脳みその神経伝達物質

決められた配列だ

 

諦めたまえ夢を追うの

夢は叶わぬ叶えば落つる

叶った夢はロンリーだ

 

ロマンとは憧憬や夢と変わらぬ

憧れは弱さから生まれる

憧れは形をもたないから憧れである

具象化されたパラメータは憧れたりえない

そう君が憧れているそのものは

夢と希望

自分にはないものを求める"欲望"と称されるロジック

ロジックは夢を破綻す

夢はロジックを破壊す

悲しいかな

楽をして夢を見たい

ロジックを組み立てて楽をしたい

ロジックが組み上がっていくにつれて人は縛られていく

今やる仕事すべて合理化だ論理化だつまり

君たちは楽になりたいから人間を辞める

決められた泣き方笑い方買い方貰い方すべて決められた動作動作動作

動作の先にあるのはさよならロマン

ようこそロンリー

みんな幸せ孤独だから

人の時代が終わるまであとちょっと。

足掻けば変わる?終わる?わからない

人の強さに自信はない

うんきっと無理だな

 

なにを見てもわかるさエネルギー堰き止まる

ロマンはうしなわれた

100個落ちたからね

なんか、できることとは、承認欲や達成欲の手先なようで可愛げ

 

ただ根拠のない自信と自信のないだけならどちらかというと前者の方が良いに決まっている一方でなんか負けたなとか上を見るとキリがないなとかそういうのもあって

 

ずぶずぶの苦しみは大体そこからくるもの

 

出来ることがないのは自信がないから

なにも結果が出ていないから

なにも納得のいく終わりを見なかったから

 

死ぬときにご苦労様でしたという意味も今になるとしみじみ沁みてしまうところもあり

子供と触れ合うことで夢を見たくもなったりする

 

なんてことを言ってたらこの世の全てを手にしたような顔した人の声が聞こえた

歌手になるまでオーデイション100個落ちたからね

なんて、そんなことを言われると画面を凝視せざるを得ないし、出来ることがないなんて嘆いている場合ではないね…自信や、諦めないこと…世の中の仕組みに気づいて絶望する頭の良さなら、諦めずになんか足掻いたほうがましかと、23歳のクソジジになっても諦めないことかね

恵まれてることを認識して前を向いて歩いて行かなきゃこれ以上ワガママに振り落としていくこともないけな

続けることに勝らない

何はともあれ終始一貫

形を研ぎ澄ます為には

続かないことに意味は

ないものの

研ぎ澄ます模索や逼迫

さがないと勝てない

自分、克己心

何はともあれ初志貫徹

何はともあれ虎視眈々

とにもかくにも

撒いた場所に果てるが

それは後へ

器用にならない不器用さ

器用な人はよわもの

不器用の鋭角真摯と鈍角愚直

器用には

one pattern that he who wants to go one way does effect to others for himself,

another is that gonna be for people virtue or something.

the words be kind to people are easily read and difficult to define, I mean these words are the most important for people, and so dislike the thought of former as this can be come true just because the evidence, people are alive.

and that means people can't be defined to people relatively, never forget to live for people, and this thought of myself came from very my short and important experience for few decades.

people who can do make sense and cope with everything he can for himself are just living for himself and that is regrretable as people can't be alive for alone.

people who have faults, that can be the kindness to people, and that is reason for living in one meaning.

but I always feel uncertaintiness in people

people continually want to cope with and do make sense just for himself,

and some irony has already been seen,

someone who loved too much people finally hate people and research the story from beggining to end of people, just for people, and make it clear the mistery of human beings.

if you wanna be loved by people just live for yourself and you can't be fulfilled by the success

and let's seek the true ugliness with pure eyes, why not.

 

 

器用さは罠だ

例えば

都合の良いコンシクエンスは誰かの嘘

不器用さには蟠り惑いがない

疑いもない

器用には隠されている

器用な不器用が知る愚かな思案が

人がつく嘘は嘘をついた人にわかる

嘘は悪である

一方必要性がある

バランス感覚に富んだ人間でしか器用で不器用にはなれないのである

残念ながら多くの人間は未だに器用と不器用の狭間を往来続ける

口だけが達者なオジさんにもならないよう

できる限りの努力で

will の前のcan 作りに励むきっとそれは義務と権利のアンビバレント

どちらに転ぼうが自由だ

だがしかし強い人間に甘える答えはない