智慧と忍耐について

駄文

わからない

基本どんな関係性もその前提に立つ

わかる前提に立つ関係性は恐らく存在し得ない

どんな条件も。

なので分かりたい気持ちを傲慢と言うのは一理あるように聞こえるが果たしてそうだろうか。

誰かのこと、何かのこと、どうしても分かりたい、偏情が人の本質では????????

何もわかろうとしないのなら人類文明はとっくに終わっていただろうし

理解する欲が精々この世界を生きる糧になるぞ

実はあなたもそうやって、自己の安定のために安寧を言葉に添えているのでは?

怖がらなくても、全部受け止めてあげる

倒れるなら一緒に倒れてまた起き上がりたいよ

 

でも、そのためには生き抜く力を持たなくちゃ

 

僕からすれば世の中はなかなかに意味不明で生きるのに精一杯で頼るものもなく思春期を過ごしたのだから(会話が成立する相手がいない)

君のような(女性はどの時代も16歳が1番綺麗だ)智慧が肉体を他の男に売ってるのは個人時代錯誤というか。自分がその男と同じ46,7になってようやく理解できる快楽で

その時には結婚とかそんなこましゃくれた発想に依存しない家庭と子孫と友愛と?様々な責任が自由と背反して存在することだ

私が求めるのはただ今を生きる私を応援してくれるものであり

それは愛すると言うこと誰にも真似のない

出来ること

したいこと人によっては美しい

逆に他の話はあまりにポテトチップスみたいなジャンクさで視力や聴力、嗅覚や味覚といった私の全神経系を破壊している

まあでも仕方ない

だって逃げたってどうせ向き合うことになるのだから咲いた種はそこに一生懸命咲くのではと違和感と共に拭いきれぬ空虚さを求めている。

うん、だからすぐにでもどこか隠遁の世界へ潜り込んで君とラビリンスにでも耽ければよい

それもできないならある程度の前進と納得のいく生活を少し追い求めて

あとちょっとの苦労とか努力とかを身に纏おうかな。つまり頑張るということ。

嫌なことに向き合うのはツラいねぇ!元気元気。