闘い

正しいってなんだ

人が作った言葉なんだから、きっと人にとって"良いもの"を意味する

正しいってなに

論理的に正しく物事を言って、世の中の筋道通り出世して、俺みたいな人間は道を踏み外した人間と思うことか、それともそもそも関心も持たれないか

なんで関心って持たれないのだろうか

誰にだって関心はある、はずなのに

どうして人間同士の関心はこれほどまでに希薄化されているんだろう、この国は

どうして経済が潤えば、自分の趣味が満たせれば、仕事は我慢すれば、最低限のイライラもコントロールすれば、"正しい"ってことになるんだろう

例えば

わからないことをわからないままにするのは

正しくないのだろうか

できないことをそのままにするのは

良くないのだろうか

出来ることが正しく

出来ないことは悪なのだろうか

こんな御託は餓鬼の甘えだって言うんだろうか

はたまた読まれることもないのだろう

誰にも読まれずに

ただ共感してくれる人がきっといるって信じるのが精一杯だろう

自分の気持ちくらい自分で守ろうと思うけど

誰かの気持ちを良くしたいと思うのはやっぱり余計なお世話なんだろう

いきていくことは辛く厳しい

不条理も不合理も理不尽も尽きない

そんなこと当たり前と笑って前を向いて歩くのが正しい

じゃあ、今こうやって仕事に打ち込んで

ジェネレーションギャップが生み出したストレスを、上と下でぶつけ合って

象が子供の頃に付けられた足枷を思い大人になった今でも足枷が外せないものだと信じ込むのが

正しいんでしょうか

そうやって、狭い地検の中で生きるのが危ないと思うけど、そんなこと詭弁で余計なお世話

悪いけど私は教育したい

ありとあらゆる人類を自分なりに思う良い状態へ導く手助けが欲しい

そのためには

親に仕事は辛いものだから、とか

そんなこと言われる必要なく

いい会社に行けとかいい大学に入れとか

目的や手段のすれ違いをなくしたい

それも仕方のないことって割り切っていたくはないよね

そんな人を見ると心が苦しい

自分の心が勝手に。巻き込まれる

もっと幸せになる方法があるはず

ミスコミュニケーションは直す

努力する

ただ出来ないんだ

出来ないを叱責はする必要ない

ただ、理想が大きいほど

自分を叱責する

辛い

 

だから、主観と客観はいつまでも相容れることない

この気持ちわかってほしいか

欲しくないか

どちらでも

 

 

働くってなに。

嫌な大人ばかりなのは私が子供だからだね

そうだ

子供って、悪い?

大人な子供って、あるんじゃないのかね。私は

だから私は闘う

無意味な仕事と、無意味で価値がないと思うこと、本当はそんなことないけど、価値を見出さないこと、自分のやりたいことを見つめる

もっとやるべきことがあるだろう

人間

そう思っている、だけ。

自分のやり方を変えられず

正しいかもわからないまま

側からすれば全然間違いな行為を

平気でやってのける

疲弊する姿を

誰にも慰めさせてくれはしないような

そういう孤独さは勘違いだ

誰しもが寂しさの上で戦っているうえで

誰かの寂しさをそっと感じ取ってあげたりとか

助けになりたいとか

孤独の一方通行者は感じ取れないのだから

社会から道を踏み外してどんどんと自己愛だけに耽るようになって、過ちを繰り返すのだろう

悪いことを繰り返すのだろう

毒を吸い、蜜を吸い続けるのだろう

終わりなき無限の負のループから逃れられないのだろう

まずは向上心を捨てよう

立ち直ることはそれで開始される

吐いてくれて大丈夫。

電話でもなんでも、してくれれば良かったのに

毒・解毒

嫌な記憶

人間というのはやはり緊張するものだ

緊張は自分に対する要求水準の高さであるが

それにそぐわない環境を提供されてしまえば

緊張したこっちの身としては落胆とか愕然になる

気持ち悪いものは気持ち悪いとやはり身体が言う

それをわかっていなかった。

わかっていなかったのは何も悪くないんだが、

今はとにかくその毒を吐きたくて、吐けなくて気持ちが悪い。

吐きたい。飲み込みたくない。記憶に残したくない。

ゲロを食べる方がまだマシだったかもしれない

すごいリフレーミングすると、いいものに出会うことを期待するチャンスかもしれない

生きるということ

死にたくなると、生きることが分からない

生きるってなんだ?認知・感じる・理解する・喋る

いろんなものが価値として存在するはず

それがなぜだか今は違う

なぜか?

性質とは。目立つこと、良いことなのだろうか。

目立たなくても、良い人がいればそれが一番じゃないだろうか。

なんか、差別が嫌いだ。戦争も諍いも。

でもとかなんとか言いながら、自分は諍いを起こす。子供な部分だってある。

生きることを真剣に悩んだところで、答えが出るとは思えないのである。

なぜなら、今生きているのだから。

悩むのだとすればそれは、死ぬことが完了した後にすれば良いはずだ。

悩みは、分からないことからくるから。死んだら、生きるってなんだったか、わかるだろう?

そういうわけで、私には相変わらず戦いとは無縁の世界にいたいって思っている。

し、それが一番だって心が叫びたがっている。

調和だとか平穏だとか、そういうものが欲しいんだ。

それは多分、諍いや戦争の意味を味わったことがあるから。

別にわざわざ戦争に行けとか、そういう話じゃない。

これ以上味わう必要がないって思うからだ。

それは危機管理能力といって。知らない人は知らなくても良い気質みたいなもの。

島国でのんびり過ごす人生がちょうど良いではないだろうか。

楽して生きて何が悪いだろう。誰にとって悪いだろう。それは自分にとって大切なことだろうか。そうでもないだろう。

楽せず苦しんで一生懸命生きるのが人生と決めたのは誰だろう。

自分が辛いからって人にそれを押し付ける人は何なのだろう。

才能だけで幸も不幸もすいも甘いも味わっているような人のことが嫌いだ。

能力がないからこそ死ぬほど自信を持って努力したのに、それを認められないってのは甘やかされだというんだろうか。そういう、価値観の話とか。

もうしてない。相手も居ないから、することもないんだろうな。

生きることってしんどい。そんなのはわかっているし、わかって居ながら毎日噛み締めていると思う。ただ、噛み締めすぎて死ぬような思いをしたってことだってわかって欲しい。耳が聞こえなくなったってご飯は美味しい。目が悪くなったってお金はある。

広島が負けてイライラするって思ってればそれでも生きてるってことになるだろう。

勝てば官軍なのはこの世の真理だろうから、考えても仕方のないことだよ。

自分が自分らしくある方がよほど生きることの重要性じゃないか。

誰に言っているんだろうこんな話を。まあ、理解してくれるようなしてくれないような。現実は甘くないって言ってくる人がきっとほとんどだろうと思う。

不幸に飲み込まれないように頑張りましょう

自分からいくら逃げても自分が自分を追いかけてくる

鏡の前に立って自分と対話をする

自分が好きだったものが甦ってくる

有名になりたい

それは覆せない事実らしい

だから、

オーストリアに行ったって

今の会社に戻ったって

有名にはならないし、有名になる、には

ちやほやされるを内包する

鏡の前に立てば嘘がつけなくなる

自分にできること・苦手なこと、できないことが否定できない形で目に見える

だからどうあがいても

やりたいことはやる。そのための休職期間

絵を描くのは好きではないし

好きなのは目的があるからで絵を描くことそのもの音を鳴らすことそのものに価値がないと芸術は不思議だ

皆芸術家なのに形が無いなんて

目の前の生存競争に邪魔されて自分のことで手一杯って何のために生きてるか、分からんね。

他人のために忙殺されるより自分のために死ね

人には人の情緒があり

心はなんですかね

学んできましたか

家族に幼い頃教わった

芸術にも鮮度

瞬間のフレーミングを永遠に

そういう感覚を争うことに何も意味無いし。

自分の大切なものを守れよ。

守れないものは守らなくていいのに

知ったような口聞いて大人のふりをする自分にはさよなら