恋愛

数多く経験すれば分かる

質高く経験すれば理解できる

時間が経てば気付く

概ね恋愛、もっというと人を好きになって体を預けたくなって、そういう過程は

ほとんど最初の時点で決まっている

ファーストコンタクトで惚れるか惚れないか

その状態を高揚させられるか、させられないか

あとは気持ちよさの違い

穏やかにセックスする人もいるし

ロマンティックも

効率的にする人も

なんか結局、何を大事にしているかのような

気がする

自分がかなり尽くしたい部類なのはわかった

尽くされても満たされないのは

尽くしたがりだからなんだと思う

尽くしてもらって、もっと言えば力を借りたとして

それを感謝する力がない

今まできっと尽くしてこれなかったから

罪滅ぼし見たく

今一番辛いのは

無理難題を、窓口を閉ざされていること。

課題っていうのは気付くことで50%、残り50%は改善と知っている。

ロマンティックとロジック

素敵な言葉とわかりやすい言葉

効率とロマン

バランス

愛が無い。いや、亡くされたのだ。これは

私の愛は瀕死していて、それは自分の力で蘇らせることができる

出来れば、と思ったりするのは弱い人を許せていない証だから

立ち向かう力のないことを、どうしようもできないからといって諦めるような人を、私は許さない

私だって、努力ができるわけじゃない。

頑張ってるね、そう思えないような態度を取ったんだろう、そう思われている。

まずは、ご飯を食べて、寝て、きちんと生活をしよう

眠る行為は素を晒すこと

素が嫌なら眠れない

いくらあがいても結局行き着く先は決まってると何年も前から理解した

くだらない他人の悦楽情緒に時間を費やすのは賭博に夢中になる現実逃避と良く似る

それならいっそ堕ちる所まで堕ちてみようか

彼らが精一杯上から満足げに笑みを浮かべるまで地獄の底で幸せを噛み締めてみよう

例えばいくら一生懸命に頑張ったとしてその結果は自分のcaptivateを上回らない

幸せな奴は幸せ

不幸せな奴は不幸せ

そうやって現実に向き合うことこそが人間

余計な散策幸せから不幸

不幸から幸せへの模索は自慰行為だと

涙を流させたい女や

人を振り回したい男や

世の中の願望にだけ価値を置いた

この世の中にうんざりしたから

いつまでも眠れずにいる

幸せとは掴み取るものだ

感じ取るものではなかったんだろうか

薬があれば大丈夫

そんな時間も終わった

現実を直視する睡眠の質の低下を相対的年々徐々に感じ

レムとノンレムの質も下がった

眠る前に酒を飲んだりタバコを吸ったり自慰行為に励んだり

人には皆言えない秘密がたくさんある

自分が何者だったかを忘れるために

自分がどういうものかを知らないために

知っても足掻いても変わらなそうなことに

きっとそんなことはなくて

頑張り疲れたきっかけに絶望する

朝が来ても元気

必要とされないなら空元気

必要とされる範囲で喜び

感性を磨くことで精一杯

どこへ行っても自分からは逃げられない

名前のない自分も自分

名前があろうがなかろうが

自分は自分

変えられない

真面目な毎日が夜を壊して征く

どんなに頑張ったところで

導かれる結果は同じこと

何からも期待をしないと言うのは

絶世の美である

相対の無い世界では評価も存在も無意味だ

カッコつけてもカッコつけたことにはならない

皆どこかでカッコつけようとしてる

それは人間のコンプレックス

劣等感や優越感で人は動き出した

生存確率の増加が生きる目的ならば

ただ生きていることにも価値がある

誰かの実験台にされ

価値を生み出す

生かす側生かされる側

部分部分での交換条件的な

ところで積み重ねること

それが人の力

細い腕

小さい顔

男性的とは言い難い華奢な身体

大きくない体

求められない悲しみと

求めることのストレス

自由

不自由と自由

どちらが良かったのか

自分が決めること

自分のペースで決めること

他人のペースに惑わされないこと

眠れなくても大丈夫

【読後感想】100分de名著 - 人生の意味の心理学(岸見一郎)

まえがき

ちょうど今自分の体の具合について理解してきている。

嫌なこともあったが、良いこともある。

嫌なことは忘れたら、良いことを思い出す。

人を小馬鹿にするような感情論で、物事を片付けようとする人間は、男女問わず嫌いだ。

表情や言葉遣いで自分を優位に立てて、相手を振り回そうとする子供の発想に付き合うのは、相手からするとあまりにも無意味だから。そこに共同体としての意識が無い。

誰かのことをバカにして、笑ってみるような人間、

一生懸命でも無いくせに、自分の限界を決めつけて人を頼る人間、

同じ人間として恥を知る。

そういう意味で、自分を律したいし、自分の為を思う行為だけを行なっていきたいと、思った本だった。

 

読後感想

アドラー心理学について勉強し始めたのは、21才になった頃のような気がする。

ようやく勉強の醍醐味を知り始めた頃。最初に読んだのは嫌われる勇気。これも岸見さん著のベストセラー。

こういう本は、教育力が国に不足しているから売れる。間違いなく。

この本を読んだきっかけは、通っている就労の本棚にある、他のアドラーの本。

というか、アドラーの言葉を適当にデザインしただけの本。

それでも言葉には力があり、もっとアドラーの考えていた基盤を知りたいと思ったから、人に尋ねておすすめの入門書を得た。それがこれ。

人生の意味の心理学、はアドラーが専門用語を使わずに、なるべく平易にわかりやすく自身の心理学の基礎を記したもの。

人生を変えることは死ぬ数日前までできるとか、自分を苦しめる正体、劣等感や優越感、子育て、常識的な非常識が並んだ内容。

自分が刺さったのは、共同体意識。全ての人は対等な関係にある、という理想の話

これは説明が難しいし誤解が生じるので、ぜひ読んでみてもらいたいのだが、、、

自分を受容すること、他者を信頼(信用は条件付きだが、信頼は無条件のもの)し続ける勇気、無条件のGiveを続け、貢献感で多幸感を得ること。自分の課題を共同体と課題視することなど、多岐にわたる。意識の変容について、丁寧な言葉が並ぶ。

大体の人間、健康な人間は、自分のできる範囲で精一杯頑張る。

私にはそれをするための余白が必要。

自分を強く見せるのではなく、自分を強くするとか

自分の価値は他人の決めた価値では無いとか

他人の決めた価値は他人のもので自分のものでは無いということだが

自分に自分で価値を持つところに勇気が生まれるとか

そういった部分を、なるほどね、ではなくて、その場でおもいおもいに巡らせ、

書いてみることで、自分は価値を認められなかったからこうなったのだ

そう思った。

今までも仲の良い人々から指摘されてきたことだが、

自分は自分を受容できなかったのは、自分が必要としたいものが

周りに認められないと実感した経験があるからだ。それを帰納的に自分は何もやってはいけない、と分類したから。もっとやりたいことがあったけど、やってこなかったと思う。

それについては、もう悔やんでも仕方ないし悔やむきも無いので(時間がもったいないし)今はとにかく多幸感を得たいと思う。

本当はすぐにでも回復したいのだけど、人間思うほど回復しないし

劇的に過激な状況に身を置きたいけれど、死んでも構わないけれど

まずは自己管理をするところから、再教育の時間を過ごしている

誰かの反応は自分の価値では無いので、自分は自分の価値で生きてゆく

昔、若い頃に、正月に、好きな女の子と300件もメールをしていたことを思い出した。

思い出せたこと自体が、自分の承認ゆえのものだったと思うから。

それは誰かに代用できる価値では無いし、幸せだった。

エロスと好きは別物だが。また難しい話ではある。

とにかくあと5周は読み直し、自己内省し、文に書き落とし、前回との変化を自己理解し、変容させ、受容していこう。

1万PVありがとうございます

そういえば数週間前に本サイトの累積PVが1万を超えました

新卒で入った会社でダウンする直前に書いた中間層のいない会社は闇、というタイトルのテーマが毎日10名ほどの方に読まれているようで、ありがとうございます。社会派な文章は書けませんが、引き続き個人ブログとして楽しくやります

羨ましい

要は感覚と直観

私は感覚的でありたい

というお話

ユングが提唱した人間の活動分類(タイプ論)は以下を参考

- 性格タイプ別 天職の探し方・適職の見つけ方 & 転職サイト比較

 

天才と馬鹿は紙一重

よく言う

天才肌と言われる

馬鹿とも言われる

もともと馬鹿だった

天才とは生まれながらにして何かしらの天性を持つ(例えば体が相対的に大きいとか、可愛いとか)と考えていたが

何を天才かそうでないかの境界線とするかは

割と定義されていないような気がする

卓越したもの、と曖昧にされがち

卓越っていうのは相対的優位なこと

誰かを神様だと思い込んだりするのは

卓越性を感じているからだろう。

人は誰しも神様が欲しい

歴史には宗教が紐付いている

憧れを追い続け自分を鼓舞する

生きる活力は実は自分一人では生み出せない

生み出せると思ってた

生み出せたが

それは孤独の象徴

孤独を曝け出すことが誰かにとっての幸福になったり

まあそんなことも、卓越、が無い人は出来ないけど

追いかけ続けるものが何か

人による

卓越したいものがその人の夢だ

無いものをねだるのが自分だから。

当たり前をねだる人もいるし

優秀をねだる人も

賢さをねだる人

清らかさを欲する人

永遠の一瞬(幸福感)を追い求める人

色々ある

私が思うにこの永遠の一瞬というのは厄介で

馬鹿じゃないと実現不可なのだ

頭が良いとそんなこと不可能だと割り切ってしまえるから。

だから、馬鹿が賢くなって、馬鹿の頃の幸せを追い求めたらきっと幸せだと思うんだ

私は馬鹿に満たない生物だった

幸せの正体

人との接点

当たり前がわからない怖さ

まあ。。もともと望んだわけでもない胸のぽっかりを

誰かにわかってもらいたくて

追いかけている

羨ましいという感情

自分のために、なんて羨ましさがない

自分について良く知り、良く頑張ってきたから。誰にも負けない自信があった

どんなに天性が安く、誰の目にも必要とされないものであったとして

それなりに頑張ってきた

そういう孤独さを知らない人が羨ましい人だった時

そのことについて考えるのは無意味だと思う

言葉に助けられるということもある。

私だって幸せになりたかったのだ。

もうなれない幸せに。完璧を求める辛さを。

現実の辛さなんか結局、頭の良さより経験が混ざってしまうのだから、この世の中は不平等だと思う。

得られないとわかっても追い求める人生

自分らしさに価値を求めない人生

全て

くだらない

人生も

物事も

やりとりも

全てが下らない

生まれた意味なんてないし

自分の正体は脳が作り上げた思考だから

居なくなれば死への恐怖も無い

生まれたことに意味はない

必要以上にイライラして

時間を浪費するだけ

一定の不平等で

それを気づかせてもらわずにしあわせな人

見ないふりをする人

見てしまう人

お前ら全員俺に関わるな