現実の輪郭を描く

人もそうだしその人もだし

人をよく見て理解するのは

世界を着実に噛みしめるのと同じくらい

広げた手が何処にあるか目を閉じて当てられる

そういった感覚の極致

自分なりの解釈に人を落とし込むことは簡単だが自分でさえそれはできないし他人でもできるように見えるだけでちょっとした生まれの差かも

極地、偏見とも言えると思っていて

想像や曲解に頼るのでなくて

期待や失望に愛しさを求めることもなくて

ただなんとなく

そういうことだよなと人の輪郭を描くこと。

体、ノイズ、良く知る人は良く好かれる

良く見る人が良く好まれる

良く見て欲しい人ほど心の何処かで穏やかでは無い胸中焦燥の多いものだ

焦燥とか、振り子の重心から一番離れたところにいたい気持ち、それでいながら自分が重心でありたいと思う

人の輪郭を描くことができれば

きっと自由だ

だから僕は世の中の輪郭を捉えようと思った

他者への書き方

心に余裕を持つことで、平静を保った振りをすることで、なんとなく誰にもわかるようなものが作れる気がする。

なぜなら気持ちの問題だから。。やりたいと思ったことは往々にして実現が可能で、不可能なのは忘却と諦念或いは執念か信念?になる。

忘却やら諦念やらはまあいわゆる普通

執念とか信念ってのは同じではない意味で言っていて

執念は忘却や諦念に近い

勇気とか、覚悟とか、

そういう、誰かに問われた時に、質問している時点で分かるはずのない人間に対しても分かる言葉で伝えられる

なんで、言い方を気にしてみれば

執念の主体者は、一般的な能力に才能を開花させていない状態のことだと思う

そんな友人をいくらか知ってる

信念は

才能がある

才能があって、努力ができて

周りの目を気にしないでいられるからこそ持ち合わせられるものだったりする

これは断言できる。

ので、もはや死ぬ直後まで何か一つのことを成し遂げようと必死な人とか

死んでから評価されるのも含め

偉人と言われるもんはこれだ

 

なんでこんなこと書いてるかというと

ことの発端はここ3日

寝ても寝れないから

寝れないというのは齟齬があって

身体は休まるけれど脳は休まらず

脳が休まっていないということは心が休まっていないということだ

(こんな風に文字を吐いてると、男性の脳は知性だけど女性は生理だなんていう制度と、それに縋っていく現状の体たらくに落ち込む)

いくら長く寝ても夢を見る

夢の質が悪い

子供の頃に見れた夢は美しかった

期待や死が夢膨らんでいたが

大人になってみた夢は

制度をうまく使って生き延びる人間とうまく使えずのさばり続ける自分の姿だった

 

会社なんてもんはどう考えても縋るべき価値は一円も無く、言葉にする価値もない

そんなこといつまで言えるのかも不安になりながら

不安を感じることすら認めてもらえない時に待っているのかのような感覚も待ち伏せてる

きっとだから会社とか世の中とかそういうものから反発することは基本可能で

達成したときに目標は達成されないのだ

会社とか世の中とかが嫌なことって大抵は、コンプレックスだからだ。

世の多くの人間は弱いからコンプレックスを埋めるために努力をする。

好きだからとかやりたいからとか嘯いて

国籍とか地理とか歴史以前に人間に根本的に備わっている美しさやそういうものは

(無論それが人類史の短い間の"感性"と呼ばれる一過性の"病気"だったとして扱われたのだとしても)

備わっている人間には分かる世界があるのだ

そしてその世界は

人間的情緒のみに訴えてしまうがために

世の中の欲望とか市場原理だとかと言ったお安い、価値のない、気持ちよくないセックスを

どうしたものか、気持ちいいと勘違いしてしまう

御門違いのバカ達のやることである

自分たちがバカであることを自覚しながら働く人間はまだ美しいのだが

そう言った自覚の備わっている人間を

あいにく僕はこの会社で1人も見つけられなかった(残念

ベンチャー企業にいた頃は

まだいくぶんか希望が残されていたような気がする

夢とか愛とかぼやける余裕もあったし

その余裕は金や威信からではなく心の余裕からであったことも知ってる

自分には世の中を生きていく力が

努力とか

エネルギーが無いから

その土俵に立たないだけで

自分が納得のいく金額を買うために稼ぐこの現状と

これからも愛や恋やを嘯く余裕が

残ることを願いながらも期待はしない

できないのだ

こんな世の中に。

君らがいう、世の中なんてハナからそんなものだよ、という、何も考えずに市場原理をまんこにいれる作業は

とても不愉快です

(もっと書きたいことはたくさんあったはずだけと、諦めて一旦リリースします 

革命が弾けるようになった

イエイ

綺麗に弾けるようになったら音声をアップロードするぞ

最近頑張っているので、たまには褒めてあげたい

仕事をして眠って、お腹が痛くなって

朝起きるのが苦しかったりして

土曜日にちょっと早めに起きる

11時だが

だが仕事をしている感じがする

弦を張り替えようとする

ついに5年位前に買った、チューニング用のあれ

豆電池で音の周波数を確認するものが

電池きれていた。

いつまでも続くからきっとこのまま永久機関二でもなるのだろうと思った

でも

人間として一番やっちゃいけない

 

嫌なものに言葉は与えない

与えると、自分が腐るから

 

いつまでも正解不正解の世界に留まってる

留まってるというか望んでいる

でも

望むだけが全てじゃないから嘘がつけないから

こうやってノンビリとのうのうと

一人暮らしにふける

幸せになりたいし望むことを追求する姿が

一番美しいこと今一度よく知ってる

 

自分の本来の姿を誰にも見せていない

 

人の違い

地元、とか友達とかの定義がいまいちわからんのですが

その根底は育った場所の人間関係に依存するんだとおもいます

おおらかな環境で育ったのならおおらかさを

個人主義に揉まれたのなら

あくまで様々な外的要因との自分との相談

で、何が言いたかったかというと

小学校の頃に

周りと全く会話が噛み合わなかったなあことを思い出したのだ

なんというか、きっと僕の価値観はやんちゃなガキっぽさと悪ガキさと勇気と、真摯な情緒で培われており、周囲の人間は、今も変わらず(それを知らずに不安に駆られたわけだが笑

ウェイウェイしている

なんか気づけば自分の居場所をどこにも見出せずにいた

友達とはなんだったのか

なんかこう、会話が噛み合う素地がない

どことなく皆周りに無関心なのを平均

当たり前

自分中心であることの当たり前

そうやって生き続けられる世の中も

東京も

杉並区も

その学校も全て嫌いだった。

人間関係もだし、学問も

悔しいね

そういったことに憤りを感じている

宗教の世界には自他の対立はなく、安息が得られる。しかしまた自他対立のない世界は向上もなく理想もない。人はなぜ向上しなければならないか、と開き直って問われると、いまの私には「向上することもできなければ他にすることも思い当たることがややもすれば難しいから」とか答えるかもしれないが、向上なく理想もない世界には住めなさそうだ。

だから私は純理性の世界だけでも、また宗教的世界だけでもやっていけず、両方を兼ね備えた世界で生存し続けるのであろう。

そういう人と同じ空気を吸いたい