iunared

hokorobi

別に自分は悩みたいだけじゃない

人として生きるということは人らしく生きることだ"人らしさ"がわからない?

 

 

考えていないだけだ。

 

仕事のパフォーマンスなり、周りの幸せなりを考える前にまず、自分のことを見よ

幸せは相互補完的な関係だ

やりたいことをやるじゃない

個人主義だとかいい世迷言を吐き捨てるゴミがいるけど君がいなくても世の中は回ったしその方が健全である

悪者にとっかかるための偽善者(金の亡者)は不要なのだ

人は本来弱い生き物なので本当は弱みを人に見せることでお互いに補完し合う関係だったはずなのに社会というものを勘違いするようになったのかやたらめったら生き残りが激しい

寝れない日

林の本音

林は疲れました

自分に嘘をつき続けること

素直になろうとしないこと

嘘偽りなき真実

怖さとか恥とか

素直に生きるのって難しくって

とても

得意なことはいいこと

あるからそれ活かして

戦略人間

抽象概念の牽引

具体の愚直さとか

そういう神秘性

性愛とか

わかりやすい幸せ

わかりやすさってなんだ

真実はいつもわかりやすいのだ

蓋して見えなくなった虚像が真実を色褪せる

期待とか夢とか理想もわかるけど。

大切なのは幸せなこと

宗教の世界には自他の対立はなく、安息が得られる。しかしまた自他対立のない世界は向上もなく理想もない。人はなぜ向上しなければならないか、と開き直って問われると、いまの私には「向上することもできなければ他にすることも思い当たることがややもすれば難しいから」とか答えるかもしれないが、向上なく理想もない世界には住めなさそうだ。

だから私は純理性の世界だけでも、また宗教的世界だけでもやっていけず、両方を兼ね備えた世界で生存し続けるのであろう。

そういう人を少なからず知っている。在家と言うんだろう

鬱の行方、行く末

鬱な気持ちはなんで起きるのか

今までわかっていたようであまりわかっていなかったようだ

鬱は、見知らぬ他人に靴を踏まれて嫌な気持ちになったり、そういうのとはかけ離れており

鬱になるのは、誰か見知らぬ他人が、自分の靴をわざと踏もうとしているんじゃないかという不安で患うもの

きっとストレスの源泉は常に他人に変わりないから

通常の人間、と言ってイメージされるような人間が、ストレスとうまく向き合えるのもわかる

ただしストレスとうまく向き合うっていうのはとても難しいことだとも思う

一見明るそうな彼が気付けば自殺するのかもしれないし視野がどん底まで狭くなって追い詰められてでも蘇る人だっているんじゃあないかなあとも思う

つくづく思うのは、人の苛立ちだとかっていうものは、向き合えるものじゃあないんだなってこと

全部の気付けるイライラに全部向き合おうとしたらこうなる

全部擲つ気も無くなって

誰の助けもストレスに変わって

人のこと、ほんとに信用できなくなっていく

外を歩けば視力に反比例して周りの悪意を勝手に醸成してしまうし

さらに言えば自分が思わないにせよ、誰かが自分を殺してやろうと思っているんじゃあないかとかそんな気持ちが

どこにいても感じられるのである

家に閉じこもればギリ生き延びるが、それだと人として生きていくことが難しいし

残された道は誰彼構わず倫理の再構築を行うことなんだと思うけど

無理なものは無理なので自覚しただけラッキーだと思って

なにも考えないようにする