好き嫌いと弱さ

これ、結構なeureka("ひらめき"のこと)かもしれない

結構感動した

長い間嫌な思いと向き合った甲斐あったのかもしれないなやった

ぜひみんなに読んでほしいです。

散文ですがお許しを

 

書いてわかったこ

嫌なことに対して費やす時間は無駄だ

時に必要なこともあるが、嫌

 好きなものしかない人間はウソかな。たくさん見てきたけどたぶん殆どの場合はね

 

好きな写真と嫌いな写真

違いはなんだろう

現実を真に受ける力の差だと思う

 

 

人には種類がいて強い力を持つ人

弱いけどその弱さを抱えて生きていける人

弱さに負けそうな人

弱さに負けて弱さを振り回す人

がいて

強いけど弱さを見せつけるなんてありゃしないのです強いから

真ん中2人はまだいいのです

色んな種類があると思う

一番下に関しては無理

 

まあなんか

写真には目的が必要です

何かを残したい強い想いと

助けて欲しいという弱い心

そこには背景が存在して

誰かのせいにしたいものもあれば

正しく生きようとするもあり

 

誰かのせいにするのは非常に楽な人生だし

人を巻き込む幸せもある

一方で誰にも迷惑をかけないようにするいい子に育つほど

その心の弱さは敏感

そこに漬け込む人もいる

助けない人だっている。自分はそう

そんな弱さに漬け込んで

幸せにしてあげること存在せず

幸せって自分で掴むものだから

幸せで無くとも愛を叫ぶことは出来る

ただ幸せって愛すること

愛とは幸せということ

なので、乱暴に扱うべきじゃない。ギリギリの琴線に触れる言葉で書ける

 

美しさには色々あって

写真には形式不必要である

形式ある美しさに侵食される写真は皮肉だ

 

自分の美しさを弱さと共に表現できること

それが本来のあるべき姿かなと思ったりして

弱さを訴えるためだけの写真なんてもの嫌い

美しさに変えるのは簡単

 

 

 

自分の中の違和感

少し剥がれてきた気がした1時46分明日は遅刻

1時56分加筆

まだまだ荒削り

現実の輪郭を描く

続く

輪郭とは何か

ありもしない空想に頼るのでも無く

目の前の目先の出来事に集中すること

相手のことを必死に思うこと

何かを必死に思うこと

現実の輪郭を描くこととはそういうこと

生きている実感にも思える

生きている感覚は

生かされている感覚では無くて

自分の神経研ぎ澄まして感じることのできるもの

個人の心と身体のバランスについて

新しい星光

せつかく書いたのに消えてしまった

素敵な文字は蘇らないというのに…

 

悲しみのスーパーカーがありもしない

「死んでもいいからさ」って言える

どうしてもこれがやりたいんです

の裏側に

安っぽい生き方

これまでの死生観

つまらない人生を

フラッシュバックさせてくれる

言葉がわかりやすくなるにつれて自分の価値観を損なってゆくそんな不安とか悲しみも擦れてって

最後は自分でどうするの?考えて決めるしかなくて

腹を据えたその時に自分の生き方は全うできるんだと思う

常に、忘れちゃいけない感覚を…

忘れることに意味があるのかもわからなくなってきた

現実の輪郭を描く

人もそうだしその人もだし

人をよく見て理解するのは

世界を着実に噛みしめるのと同じくらい

広げた手が何処にあるか目を閉じて当てられる

そういった感覚の極致

自分なりの解釈に人を落とし込むことは簡単だが自分でさえそれはできないし他人でもできるように見えるだけでちょっとした生まれの差かも

極地、偏見とも言えると思っていて

想像や曲解に頼るのでなくて

期待や失望に愛しさを求めることもなくて

ただなんとなく

そういうことだよなと人の輪郭を描くこと。

体、ノイズ、良く知る人は良く好かれる

良く見る人が良く好まれる

良く見て欲しい人ほど心の何処かで穏やかでは無い胸中焦燥の多いものだ

焦燥とか、振り子の重心から一番離れたところにいたい気持ち、それでいながら自分が重心でありたいと思う

人の輪郭を描くことができれば

きっと自由だ

だから僕は世の中の輪郭を捉えようと思った

他者への書き方

心に余裕を持つことで、平静を保った振りをすることで、なんとなく誰にもわかるようなものが作れる気がする。

なぜなら気持ちの問題だから。。やりたいと思ったことは往々にして実現が可能で、不可能なのは忘却と諦念或いは執念か信念?になる。

忘却やら諦念やらはまあいわゆる普通

執念とか信念ってのは同じではない意味で言っていて

執念は忘却や諦念に近い

勇気とか、覚悟とか、

そういう、誰かに問われた時に、質問している時点で分かるはずのない人間に対しても分かる言葉で伝えられる

なんで、言い方を気にしてみれば

執念の主体者は、一般的な能力に才能を開花させていない状態のことだと思う

そんな友人をいくらか知ってる

信念は

才能がある

才能があって、努力ができて

周りの目を気にしないでいられるからこそ持ち合わせられるものだったりする

これは断言できる。

ので、もはや死ぬ直後まで何か一つのことを成し遂げようと必死な人とか

死んでから評価されるのも含め

偉人と言われるもんはこれだ

 

なんでこんなこと書いてるかというと

ことの発端はここ3日

寝ても寝れないから

寝れないというのは齟齬があって

身体は休まるけれど脳は休まらず

脳が休まっていないということは心が休まっていないということだ

(こんな風に文字を吐いてると、男性の脳は知性だけど女性は生理だなんていう制度と、それに縋っていく現状の体たらくに落ち込む)

いくら長く寝ても夢を見る

夢の質が悪い

子供の頃に見れた夢は美しかった

期待や死が夢膨らんでいたが

大人になってみた夢は

制度をうまく使って生き延びる人間とうまく使えずのさばり続ける自分の姿だった

 

会社なんてもんはどう考えても縋るべき価値は一円も無く、言葉にする価値もない

そんなこといつまで言えるのかも不安になりながら

不安を感じることすら認めてもらえない時に待っているのかのような感覚も待ち伏せてる

きっとだから会社とか世の中とかそういうものから反発することは基本可能で

達成したときに目標は達成されないのだ

会社とか世の中とかが嫌なことって大抵は、コンプレックスだからだ。

世の多くの人間は弱いからコンプレックスを埋めるために努力をする。

好きだからとかやりたいからとか嘯いて

国籍とか地理とか歴史以前に人間に根本的に備わっている美しさやそういうものは

(無論それが人類史の短い間の"感性"と呼ばれる一過性の"病気"だったとして扱われたのだとしても)

備わっている人間には分かる世界があるのだ

そしてその世界は

人間的情緒のみに訴えてしまうがために

世の中の欲望とか市場原理だとかと言ったお安い、価値のない、気持ちよくないセックスを

どうしたものか、気持ちいいと勘違いしてしまう

御門違いのバカ達のやることである

自分たちがバカであることを自覚しながら働く人間はまだ美しいのだが

そう言った自覚の備わっている人間を

あいにく僕はこの会社で1人も見つけられなかった(残念

ベンチャー企業にいた頃は

まだいくぶんか希望が残されていたような気がする

夢とか愛とかぼやける余裕もあったし

その余裕は金や威信からではなく心の余裕からであったことも知ってる

自分には世の中を生きていく力が

努力とか

エネルギーが無いから

その土俵に立たないだけで

自分が納得のいく金額を買うために稼ぐこの現状と

これからも愛や恋やを嘯く余裕が

残ることを願いながらも期待はしない

できないのだ

こんな世の中に。

君らがいう、世の中なんてハナからそんなものだよ、という、何も考えずに市場原理をまんこにいれる作業は

とても不愉快です

(もっと書きたいことはたくさんあったはずだけと、諦めて一旦リリースします