何をやると自分は幸せなんだろうか

と延々と悶々としながら考えた

 

居酒屋で、まっさんに話を聞くうちに

私の血に含まれている関西人としての矜持が溢れて

自分の祖父のことを思い出しながら、そしてまっさんが自分の父と2歳しか離れていないことに驚きを感じながら

この世界の小さな生き物たちを

どうか幸せにしてもらえないだろうか

と思っている

 

本当に良い人とは

話さなくてもわからせるような

非言語の何かを感じさせるような

それは計算機にいずれはとって変わるのだろうけど

でも、その計算機が出来るまでの尊かったものたちって

なきものにされてしまうのかとか

 

人の世の儚さと黄昏れる我々文学者と

それに合理的に向かい続ける科学者たち

 

どちらが正しいわけでもなく

ただこの世界にそういう分布で存在しているだけの

 

我々は何処へ向かうのだろう

 

そして私は

誰よりも家族が大好きで、好きになった人が大好きで、他にはもう何も要らない

らしかった

 

本当に

ただそれだけのようだった

 

知的好奇心は嘘だったのか?

接し方、優しさ

こんな話をしても

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恋とか愛とか

色々ありました

結論

相手をちゃんと見ないのが自分の至らない部分なのでした

相手はちゃんと自分を見てくれていたけど

いつも自分は自分のことしか考えていなかった

 

まあ、この歳になればやっぱり計画通り

人を見る目が、ついたよ

ようやくお出迎えと思ったけど

その時の当の本人は別のところに行ってしまった

まあそうだよなあ

男と女だから

時間の感覚が、ライフステージが遺伝子的に違うんだから

理屈では頷けども

勘違い少年の思い込みによる

10年弱の独りよがりな大人計画

無惨に散る

 

あの子の眼力は確かである

自分なんかよりもずっとはるかに

仕方ない

あーだこーだ述べるもんじゃない

 

相手をありのままに受け止めるには

どうしても時間がかかってしまってきた

私の場合は

 

今ようやくわかった

相手がどうであれ自分がちゃんとしない限り

誰とも人生を共にすることは出来ないと

 

天罰も今も未来も知らないが

とにかくそういうこと

 

人と共に生きること

感情のままに生きるのは恥だ、と言う

理性と言う名の計算機に成れる切符は全員分は無い

漫画を読むにしろ

あの下品な漫画を理知的な親友に紹介してあげられるだろうか

国史とかSFみたいな理性的な作品より

ロードムービーやインディーズなエッセイの方が好みなのは感情型だから、だろうか

 

10代のうちに、悩み、1人静かに公園で夜中を過ごすのは優秀な生徒にはなかったのだろうか

だから彼らとは話が合わないのだろうか

 

僕はこの世界が、少しでも味方だと思えたなら

 

優しさは虚像なのだろうか

優しさは虚像なのだろうか

人を思いやる心

大切な心象風景を

大切にするだけの人生を歩もうとすると

どうしても目の眩む

大切なわけがないはず

消費と大量の文字が並ぶ電気の街が

あれよあれよと

甘いお菓子なら

つられて子供たちが手を伸ばす

大切なものは

チョコでも飴でもガムでもなく

渡してくれる親の心の有り様

家族の尊さ

軽重で測れない

今この、あの瞬間の尊さのこと

何かを守りたいと信じ抜くからこそ

守られるものが居心地の良い

肌触りのような何かを

心の奥まで感じるんではなかろうか

消滅的な瞬時の快放よりも

もっと静的で、静謐としたあの

大切なもののことを

なんと形容すれば

あれは本当なのかも

まあこんなに電気が多いと

少し暗い場所にいくとするか

こだわりと諦念の間

完全なる余計なお世話だけれども

もっとこだわりや完璧さ、執念や執着のようなものを持ったほうが良いんじゃないかと

周りにいる人々に時々思う

 

別に、相手にどうこうして欲しいなんて烏滸がましいと思っていますけど

まして、自分がそんなにこだわりや完璧さが強いかというと

まあ少なくとも弱くはない気がしてきたが

 

21の時と比べても大して自分の考えは今も変わっておらず

社会と携わるようになったくらいか

 

やはり自分の大切にしたかったものが

大切にきちんとし得なかったということが

きちんと一生後悔していくだろうということと

 

まあ自分にはまともな人間じゃあないんだな、務まらないんだな

といった諦念もマシマシになってきている最近

 

新しいことを始めようにも

その先のこととかを考えてしまうあたりで、

老衰の気配

 

番でも出会ったりして

平和に穏和に現状に粛々と生存する様も

別に良い悪いではないけれど

 

もっと憧れを抱いて欲しいな、とは思う

 

夢のない生活って

あまり望ましくはない

 

それってでも別に番の有無に関わらず

今の自分もそう。

1人で沈殿することによって得られるものがある

何も得ないのだろうけど1人で獲得している

人と話さずにいると

笑顔がなくなって

皮肉家になり

批判が激しく

体に悪いことばかりが蔓延る

30年近く

長い間この問題に向き合っていて

治らないのだと

確信するのは

いくら人と会っても

誰でもいいわけじゃないからだという

幼い頃築き上げた人への信頼の閾値が低かったのかな

 

1人でいること

なにかと繋がりたくなる

寂しいという感情になる

 

そしてまた

面倒ごとには巻き込まれたくないという

ワガママとの葛藤が生まれる

 

さらにいうと

もっと頑張らないといけないと

思ってしまったりするのだけど

 

頑張るって何を?だし

何かになりたくても

何かになれない

なれる器じゃない

 

努力たりてない

環境も用意できていない

戦う準備はいつでも

目的が大切