沈殿、それは尊いもの

コミュニケーションの話

外向的、内向的

割合

7:3

3:7

10:0

0:10

きっと人間には100%なんてなく

1%でもバランスを保たないと遺伝子的にアウトだと信号が送られるようにできていて

 

人によりそのバランスが、大きく異なったりしていて

誰かと関わる際には、それがダンスのようにお互いのバランスを取り合っているのである

 

まず私は内向的である

外向的だった時代もあるのだが

なぜか内向的になった

と感じている

 

自分をよくみてくれていた人たちによるフィードバックをもらった方が

正しいとは思うけど、あえて自分の主観だけで語らせてもらうならば

 

私はどちらかというと、誰かと一緒にいたいけど

分かり合えないのならいたくないのである

 

ゆえに、分かり合えない人ばかりだと、誰とも一緒に"居られない"のだ

孤独が好きとかじゃなくて

誰かと一緒にいたいのだ

ただ、その誰かが居ないのだ

 

そして、その誰かは、作ってしまえるものではなくて

運命的な自然発生的によるものだと信じている

科学者のくせに生意気だ

 

私にとって沈殿という感覚は

その一人でいる瞬間に起こる化学反応だと考えている

 

一人でいるということは

無論インプットを絞り込んで、アウトプットに重きを置く

外界は狭く、内界は海のように広い

そして、目の前にある白い壁一つに対してでも、宇宙の真理とかを考えたりすることができてしまう。

一方で、インプットがカレーライスしかなければ、白い壁にはカレーライスしか思い浮かばないのだ。

 

そんなわけで世の中、人として生きる上で

インプットとアウトプットの連鎖反応は欠かせない

 

そして、沈殿によって認められる美しさ、人を惹きつけるフェロモンのようなものが

確かに存在している

 

ただ、確率としては社会制約上なかなか難しく

アーティストでさえも売れる前にはあった沈殿が、売れることで大衆迎合せざるを得なくなり、欲望に満たされていくのを何度も見る

宇多田ヒカルとかが今でも沈殿に浸れているのは、稀有なことだと思う。特に日本人として。

 

私はなんというか、冷静そうに見えてめちゃくちゃな幼児なので、

沈殿というものが尊いのである

クレバーに器用にしているが、沈殿が大好きで

沈殿が深ければ好きになってしまう

 

沈殿というのは、慈しみの深さでもある。

優しさの裏返し。

思慮や思慕の深さが優しさになるので、辛さや痛みも分かり合えていないといけない。

そういう意味での、沈殿という行為には、非常に複雑な、人間の絡み合っていく経験が必要で、しかも美的センスがなければ、それを解釈として美術的に表現し得ないので、人間国宝ならぬ沈殿国宝が出来上がるには非常にセンスが必要だ。

 

やや脱線するが、技術の話においては

例えば宇多田ヒカルと懇意にされているという椎名林檎さんとかは、お仕事として音楽を作られていると仰っていた。正直感情に即したまま生きているようにしか思っていなかったので、本当かよ?と今でも真意は直接話してみなきゃわからないけれど、表面的には確かに彼女も世渡り上手の気配り上手(いわゆる)的な感じなので、そうとも取れる。

つまり、技術さえあれば、沈殿も死なずに出来てしまえるという話があったりするんだろう。

一方で、カートコバーン然り、死んでしまって美しくなってしまう美術作品も世の中には多くあるわけで、ここは議論の余地があって仕方がない。誰かと話したいけれども、誰も声をかけてはくれないのだろうか。

 

閑話休題

沈殿、それは尊いもので

私は常に沈殿している

しかし、沈殿にはいつか1:9の1の外交がないと進歩がない

混じり合うことでしか、化学も宇宙も発展も言葉も電気もITも

何もかもが混じり合うことでしか進歩できない。

そしてその機会が私に与えられないのが、単に己の行動力不足と言ってしまえるものか、運命論的なもので片付けるには心情的には科学者として許せなかったりして、

とはいえ、私には沈殿を通じたコミュニケーションを枯渇して何年経つのだろう、といった現状が待ち構えている。

孤独を通じて、勝手に思い出に美化して、目先の快楽に溺れたくはないので、

私は孤独から愛を学び、勝手に思い出を美化することもなく、自分の人生だけを大切にするのではなく、人類や数百年、あるいは宇宙に対して思ったことをエイヤ、って口にさせてもらいたい。

だから私は今はまだ知り得ていない君たちに関わりたい。

今感じている孤独も、いつか誰かと沈殿しながらでも良いから、悪くはないと、この時のためにあったんだと思いたい。

努力しないでも楽に生きられるのなら、そうでも良いけど。