いまだに分からんのだ、生きるということが

行動がものを言う時代

 

 

最初は具体的な話をしていたのも

気付けば抽象的になってしまっていた

 

23歳の終わり、あと60日もせずに私は24歳になってしまう

それでよかったのか?

と疑問が過ぎり

答えは行動の中にある

とも確信し難い

というか

周囲にこれほど臆病で慎重な人を友達に数えきれない

戦いは常に孤独なのかなということすら

未だに確信を得られない

 

話の発端は整数の話

自分どう考えても理系人材なのに何故にこうも数学が弱い(というか腹落ちして計算できない)のかなと精神状態を崩したため考える

たぶん論理的思考力ってやつ

実は、そもそも0,1,2...nと整数が無限に増えていくことにも違和感がある

無限って何。0が54個ある状況が無限なん?そうだと言われるだけじゃ納得までいかなくて、経緯と事実情報が欲しい。

でも意外と微分積分、もっと深いとこまで潜って行くと彼らはその程度の小ささに見える存在で圧倒的密度をもってなのか、自分の存在意義を保っているのだと感心させられたりもする

 

-の概念も、意味だけ説明されても腑に落ちん。

-1?現実には在るか無いかの2言論でしかないのでは?死んだら-1ではなく0やろ?1人の人間が死ねば0やろ。死ぬ過程はマイナスなのかもしれんけど、それは存在に対するマイナスではなくて、行為に対するマイナスやんな。今も自分の脳細胞は減り続けるから、その現象(減少)を動作として表す分にはマイナスなのはわかる。

(たぶん腹落ちしてる人に説明されたら、ああ、まあそういうことなんすかね、って、他人を通じて概念に理解を持たす。もしかすると人の考えを信用してないのかも。人の行動や自然的な事象は好きだけども)

ただな

-1という記号が単体で存在するって?

マイナスの存在ってあるん?

もしかすると学力不足かもしれない。それか答えを探りに行く方が良い。

分かんないけど電子には正負があるよとか

そういう納得解が得られれば良いのか

 

あるいはそういえば人って昔から成長?(本当に?)を続けている訳だから

過去のルールに乗っかっているだけでそれが真実とは限らないのかもしれない

ああ。またシニカルな話だ

 

当時人が生きる上で社会的に必要とされた行為が0と1と-1を作ることなんだったんだとしたら

まあわかるよ。当時の偉い人が決めたんだし小一の頃には凄さきっと分からんけど、今考えると凄い。

例えば今は-196度が1番寒いって知ってるけど昔は知られていなかったーとか

24時間と言われているものも23時間56分4秒だったりとか

世の中にはこれっぽっちも信用に値するものなんか存在しないのだ

なのになんでこんな行動する

 

こんなこまっしゃくれた(しかも小学校の頃何もしてこなかった、ただ遊んだだけの)中学1年生は

理由を誰かから教わる術も知らず

先生には面倒がられるし

自分も先生を尊敬出来なくなったし

できることに対する価値とかも

よくわからない

だから今ここに生きている

 

私はそういう人間だつまり

 

問題児であれとかそういう

クレイジーイズバーチュー(virtue→美徳)

みたいな思想にふりきれはしないし

振り切ったところで目に見えているのだ

やることは決して意味など無いと

 

楽しければそれでいいと思う

ただ、供給過多の中でどのように過ごすかが今一度自分の中でしっくりとこないだけ

そりゃ東大入らなかったことも

浪人してまで己の疑問に向き合おうとしなかったことも(だったら何かしら経験したい)

まあ沸々と嫌な気持ちになる

割と嘘つかずに生きてきた方だと思ってた

が、なんかこう周りの行動力に目を泳がされている

情緒と情熱の両輪?笑わせないで

 

 

最近生きてる意味が無いのだが

22歳の頃よりも余計生きてる意味を感じないのだが

それは何故だろう。生きるってつまり今まで培ったものを活かして社会に貢献すること

人間の備わった本能的思考行動だとしても疑問だ

それよりはこれまで生きてきた人の薫りのする場所で

人間として生きる意味を感じながら

→それはつまり何らかの社会貢献とか以前に(それは足枷だから)人としての性欲、食欲、睡眠欲、知的好奇心を満たすような真似をするのが良いんじゃなかろうか

そしてそれは勉強ができるできない学歴が優れる優れないどう以前に情緒に由来している

この世に確かなものを確かめたいと思うから生きている

それじゃだめなんだろうか

誰もついて来てくれないのは何で何だろうか

訳もわからず最後は思考を停止して振りかざす腕が真実だと決めつけるのはどんなに頭の良い人でもそうなんだ 

一つミジンコの意見はそれでも正しいと思ったことは周りに何と言われようと貫き通す方が良いのでは無いか

という話だった。

 

 

旅に出ます

 

 

 

あと一つ

旅に出る前に個人の自由と天秤にかけるべきなのが家族とか友人ということもようやく

見に纏う前提として培われてきているような

まあこの人のこういう部分は合わない

ただこの部分では意思疎通図れるからいっか

みたいな

いつまで続くか分からない感情が実は1番正しいものだったりするのかもしれない

ギザギザだから持ち手に気をつけろ、と言いたいけど

 

段々と青臭い議論も出来なくなって行く感じが

大人になるということなのかと胸に刺々しく刺さりますね

みんな痛くないの

痛いくせに(謙譲

 

確信や納得が得られないくせに行動するのは何故か

とか言いつつ自分が過保護に育てられたこともあまり自覚できていなかったりする

行動は常に覚悟が必要だそれは知ってる覚悟のなりがカッコいいほど人はすげーってなるのも知ってる

でも実際問題覚悟は何も考えずに出来ていること

というよりかは

やっても多分許容してやれそうなリスクの認知(論理的に)であったり

まあ色々あるだろ

そういうわけで何かをする上ではリスクと現状分析を怠らなければ結構上手く行く

では上手くいかせたい理由は。

もう十分もっている気がする

覚悟には本当はあまり時間をかけないほうが良いこともわかっていると思う…理解はしていないけど頭の中では

何かこれやりたいと思ったことをやってみることには常に大量のエネルギーを必要とする

し、自分もそういうのはどちらかといえば大好きな部類な気がするんだが頭の悪さから臆病な

うーん、頭の悪さ?頭は良いかもしれないけど、考え過ぎなだけ?

考え過ぎちゃいけませんか?(だって基本考えることは気持ち良い、性交渉とどちらが気持ち良いかと言われるとケースバイケースな気がするがさ。