好きなものが少ないことによる良いことと随筆

好きなものは多い方が良いのか

少ない方が良いのか

たぶんどっちでも良いけど、

嫌いなものと違って好きなものは生まれながらに持てる数が決まっている印象。

 

好きなものには生き方そのものが現れる

「何が好きですか」

という問いは良い。

 

問いに対する答えで、その人についての理解(感覚の調和)が研ぎ澄まされる。

 

調和とか宇宙ワードで返す人

星空に飲み込まれるのが好きとか

下北沢にある其々の喫茶店とか

猫が好きとか

人の数だけいろいろあって、

理由は聞かないでも、相手の表情や声のトーン、服装なんかから

ある程度の憶測は出来る

 

私の場合

未来を想像していくことが好き

今後進展して行く可能性のある情緒ある科学、合理か

未来過去恒久的な普遍性を持つ調和と不調和の旋律か

時間の操れる3.5次元とか

そういう、人の想像できるものの限界の先を夢見る事だけが楽しい

 

思考の枠を外して行くにはありとあらゆる制約を

生きていくために必要な無駄なあれこれを無視することが大事である

その一つがこのしょうもない発想。3.5。

 

 

 

さて

少ないことの良いこと、と書いたからには、その理由を述べたいところだが

まあ端的に言えば"奥行き" だと思う。

最近は、インターネッツのおかげで広くて浅い人間がごまんといる。

広くて浅いっていうのは自分で考えることより誰かから請け負ったものの方が多いことだ。そういうのって、一度喋ったらわかるだろ。言葉に重みないから

 

 

 

思うに最初に書こうとしていたことは私には好きなものがそう多くないのでは

と思った着想からであった。

好きとはやりたいと密接な関係を持つ。

あの子が好き、これが好き

モノへの執着心が好きの正体なんだろうか。

正直まだまだ確信が輪郭を伴わないでいる。

 

好きは嫌いの背理であるか

割と自分は美しければそれで良いのでは

美しさには強さを求めませんが

といったスタンスを

 

 

 

あああここから先に一番大切なことを書いていたのにまた、またまたまたまた消えたよまた

もう辞めようかなこんなクソみたいなこと

つまらないので

自分は綺麗なお皿などを眺めるのが苦手なこと

それは自分の執着心の相対的な無さの裏返しだから

執着心がないことが課題であること

とはいってもその持ち方を失ったこと

なので旅でもしようかと思っている話。

周りへの嫉妬でこの話をしていることもある

 

やっぱり許せないものは許さないでいいよ

許して何になるってんだよ