他者への書き方

心に余裕を持つことで、平静を保った振りをすることで、なんとなく誰にもわかるようなものが作れる気がする。

なぜなら気持ちの問題だから。。やりたいと思ったことは往々にして実現が可能で、不可能なのは忘却と諦念或いは執念か信念?になる。

忘却やら諦念やらはまあいわゆる普通

執念とか信念ってのは同じではない意味で言っていて

執念は忘却や諦念に近い

勇気とか、覚悟とか、

そういう、誰かに問われた時に、質問している時点で分かるはずのない人間に対しても分かる言葉で伝えられる

なんで、言い方を気にしてみれば

執念の主体者は、一般的な能力に才能を開花させていない状態のことだと思う

そんな友人をいくらか知ってる

信念は

才能がある

才能があって、努力ができて

周りの目を気にしないでいられるからこそ持ち合わせられるものだったりする

これは断言できる。

ので、もはや死ぬ直後まで何か一つのことを成し遂げようと必死な人とか

死んでから評価されるのも含め

偉人と言われるもんはこれだ

 

なんでこんなこと書いてるかというと

ことの発端はここ3日

寝ても寝れないから

寝れないというのは齟齬があって

身体は休まるけれど脳は休まらず

脳が休まっていないということは心が休まっていないということだ

(こんな風に文字を吐いてると、男性の脳は知性だけど女性は生理だなんていう制度と、それに縋っていく現状の体たらくに落ち込む)

いくら長く寝ても夢を見る

夢の質が悪い

子供の頃に見れた夢は美しかった

期待や死が夢膨らんでいたが

大人になってみた夢は

制度をうまく使って生き延びる人間とうまく使えずのさばり続ける自分の姿だった

 

会社なんてもんはどう考えても縋るべき価値は一円も無く、言葉にする価値もない

そんなこといつまで言えるのかも不安になりながら

不安を感じることすら認めてもらえない時に待っているのかのような感覚も待ち伏せてる

きっとだから会社とか世の中とかそういうものから反発することは基本可能で

達成したときに目標は達成されないのだ

会社とか世の中とかが嫌なことって大抵は、コンプレックスだからだ。

世の多くの人間は弱いからコンプレックスを埋めるために努力をする。

好きだからとかやりたいからとか嘯いて

国籍とか地理とか歴史以前に人間に根本的に備わっている美しさやそういうものは

(無論それが人類史の短い間の"感性"と呼ばれる一過性の"病気"だったとして扱われたのだとしても)

備わっている人間には分かる世界があるのだ

そしてその世界は

人間的情緒のみに訴えてしまうがために

世の中の欲望とか市場原理だとかと言ったお安い、価値のない、気持ちよくないセックスを

どうしたものか、気持ちいいと勘違いしてしまう

御門違いのバカ達のやることである

自分たちがバカであることを自覚しながら働く人間はまだ美しいのだが

そう言った自覚の備わっている人間を

あいにく僕はこの会社で1人も見つけられなかった(残念

ベンチャー企業にいた頃は

まだいくぶんか希望が残されていたような気がする

夢とか愛とかぼやける余裕もあったし

その余裕は金や威信からではなく心の余裕からであったことも知ってる

自分には世の中を生きていく力が

努力とか

エネルギーが無いから

その土俵に立たないだけで

自分が納得のいく金額を買うために稼ぐこの現状と

これからも愛や恋やを嘯く余裕が

残ることを願いながらも期待はしない

できないのだ

こんな世の中に。

君らがいう、世の中なんてハナからそんなものだよ、という、何も考えずに市場原理をまんこにいれる作業は

とても不愉快です

(もっと書きたいことはたくさんあったはずだけと、諦めて一旦リリースします