クリア後のドラクエのこと

人生は暇つぶしと、今でも思う。

自分に限らず多くの若者がそう思っている。

自分を若者の括りに入れるのも限界だが。

 

なんでそう思うかと言うと

生まれてから今に至るまで

今日を生き抜くために必死になったことが少ないからだ。

 

なぜそうならなかったのかと言うと

空腹になったら美味しい食事が取ることができ

分からないことはお金を払えば分かったし(塾やインターネット)

義務(Obligationだが)教育も受けた

戦争や天災も私の身の回りには起きることがなく

親族も健在だ。

そして今25歳になっているが、五体満足だ。

 

会社組織には馴染めずに、今は個人事業主として働いているが

それでも食う飯に困らないし、

明日何をすべきかなんて強制力もない。

 

今やるべきことをただ淡々とこなすことが今の人生のタスク。

 

 

そう思った時に、ふと昔のことを思い出した。

自分が何者でいるのか、それをアイデンティティの確立と呼ぶなら

まさにそのような時期のことである。

私にとってそれは24,5歳まで続いた。

今現在もないことはないが、昔のような刃物のような尖りきった面影はとうに身を隠している。

 

16~18才の頃、危機感から一生懸命に勉強をし、希望の大学に合格した

環境に馴染むことはさすが自分らしく無理で、

それでも楽しいと思えた。

と、同時に、これはクリアした後のドラクエのように思えたのである。

 

それから今年の春くらいまで、私はずーっと

自分の人生について考えてきた。

 

仕事でベトナムに行った時の話をする

私は当時ひどくうんざりしていた。

何かと言うと、日本で有数の企業に勤めていた頃

周りの無能っぷりに愕然としていた。

人というのはマッチであるというのは松下幸之助の言葉だ。

人には自発的に可燃する(=やる気を持つ)人と、他人に影響を受けて引火する(やる気のある人に感化されてやる気を持つ)人がある。そして、誰からも影響を受けない人(不燃性の人)もいる。

私の当時の環境で、可燃性の人間にはお目にかかることが難しく、

私はジレンマを覚えた。

 

やる気がないのに生きるというのは、

死んでいるのと同じではないか?

ないし、養老孟司曰く「半分生きて、半分死んでいる」のではないか

 

やる気があるって何だろうか。

私は、「今一生懸命」

なんじゃないかなって。

 

ドラゴンクエストの場合、

ラスボスを倒すまでに自分の武器や装備を整えて

味方を作って、敵を倒してレベルを上げていく

 

人生にたとえならば

塾に通って受験勉強をして、会社に入って良い役職につく

そう行ったものだろうか。

 

脳の回路的にはどちらも報酬系ドーパミン)なので

実質人間としては快の感じ方は同じである。

無論、お金になるのは仕事(現実)であって、ゲームではないのだが。

 

話が逸れていた。

ベトナムに行った時、私は感動した。

彼らは毎日、楽しそうなのだ。

なぜかは明白だった。

ベトナムは現在成長途中で、勢いがある。

やる気に満ちた人が多く、明日に希望を持てている。

これはつまり、ラスボスがまだ生き残っているからだ。

出世したいとかそういう人にとっての欲望になるものが、きちんと用意されているからだ。

 

日本の場合、どうか?

人口減少していくし、我々の年金は無論無理。

生きていくのに精一杯で、何も目的を持たない。

そんな生き方が横行している中で、彼らベトナム人は希望だった。

 

そして、今思う

クリア後のドラクエ

どう生きれば良いのだろうかと。

 

たまにそういうふうな危機感がなくては

私はNPCになるのだろう。

何も意思を持たず、ただ言われた通りに動くだけの

ありになってしまう。。

 

アイデンティティとは

信念や志であるが

特に何もないです、というのはやはり悲しいというか

虚しさがあるから。