羨ましい

要は感覚と直観

私は感覚的でありたい

というお話

ユングが提唱した人間の活動分類(タイプ論)は以下を参考

- 性格タイプ別 天職の探し方・適職の見つけ方 & 転職サイト比較

 

天才と馬鹿は紙一重

よく言う

天才肌と言われる

馬鹿とも言われる

もともと馬鹿だった

天才とは生まれながらにして何かしらの天性を持つ(例えば体が相対的に大きいとか、可愛いとか)と考えていたが

何を天才かそうでないかの境界線とするかは

割と定義されていないような気がする

卓越したもの、と曖昧にされがち

卓越っていうのは相対的優位なこと

誰かを神様だと思い込んだりするのは

卓越性を感じているからだろう。

人は誰しも神様が欲しい

歴史には宗教が紐付いている

憧れを追い続け自分を鼓舞する

生きる活力は実は自分一人では生み出せない

生み出せると思ってた

生み出せたが

それは孤独の象徴

孤独を曝け出すことが誰かにとっての幸福になったり

まあそんなことも、卓越、が無い人は出来ないけど

追いかけ続けるものが何か

人による

卓越したいものがその人の夢だ

無いものをねだるのが自分だから。

当たり前をねだる人もいるし

優秀をねだる人も

賢さをねだる人

清らかさを欲する人

永遠の一瞬(幸福感)を追い求める人

色々ある

私が思うにこの永遠の一瞬というのは厄介で

馬鹿じゃないと実現不可なのだ

頭が良いとそんなこと不可能だと割り切ってしまえるから。

だから、馬鹿が賢くなって、馬鹿の頃の幸せを追い求めたらきっと幸せだと思うんだ

私は馬鹿に満たない生物だった

幸せの正体

人との接点

当たり前がわからない怖さ

まあ。。もともと望んだわけでもない胸のぽっかりを

誰かにわかってもらいたくて

追いかけている

羨ましいという感情

自分のために、なんて羨ましさがない

自分について良く知り、良く頑張ってきたから。誰にも負けない自信があった

どんなに天性が安く、誰の目にも必要とされないものであったとして

それなりに頑張ってきた

そういう孤独さを知らない人が羨ましい人だった時

そのことについて考えるのは無意味だと思う

言葉に助けられるということもある。

私だって幸せになりたかったのだ。

もうなれない幸せに。完璧を求める辛さを。

現実の辛さなんか結局、頭の良さより経験が混ざってしまうのだから、この世の中は不条理だと思う。魅惑的だとかそんな風にいつぞやのおナニーに想いを馳せることのできた人生

得られないとわかっても追い求める人生

自分らしさに価値を求めない人生