正しく捉えることへの恐怖

アメリカに来ている

ラスベガス

国としてはやっぱり特有の

土地としてもやはり独特な表現が散りばめられている

なんだかこう相対視するための材料がたくさん手に入っている2日だった

まだあと4日もあるんだけど。

やっぱり、ラスベガスへビジネスで来ているから余計に感じるのかもしれないが、会話への恐怖が強い

海外だと、自分が思っていた以上に

個人主義を排斥する傾向にあるように感じている

つまり、一人で食事をとらない

常に誰かと会話をし続ける

1人でいるときは何かしらの理由があるから

というのがこの国の、あるいは欧米のスタンダードのように思えた

だから一日本人として島国で農耕民族的に育った身からすると

やはりどこかこう我々の劣等感というか

周りに対して萎縮するような威厳の無さというものを強く感じている

私は最近とても苦しかった

病気になるし仕事は退屈だしお金はあるけど使い方がわからなくなっていた

ちょうどいまこういう経験をすることで

自分にとって何が大切か、人生の目的は何か、と問われるような機会は非常に高尚で

有難いことだ。と思う

じゃあ今日からどうするか。と言われたら

やっぱり私は今回の目的を上文の気づきを得ることと置いていた気がするので、やはり意図的に一人でいる時間を作ろうかなと思った

それよりも帰国してからあれやりたいだのこれやりたいだの考える方が楽しいと思っている

何故なら、この土地、特にラスベガスでは

東洋人差別が結構強い

いや、僕の経験上の高いだから、そんなに高くはないんだろうけど(石を投げつけられたりとかはしないから)

やはり会話の糸口を拾いにくかったり

周囲もアメリカ人同士で話し合う事の方が多いので

わざわざラスベガスでアメリカ人の友達を作ろうとかはあんまり思えてないかもしれない

特に仕事の観点だと

ビジネス関係作っても仕様がない、とお互いに思われるような関係性の方が高いから

まあ、ある意味では日本人という希少性を活かして様々な人と交流できる貴重な場なのかもしれない

そういう意味ではもっとたくさんの人と話をした方が楽しいのかも

なんとなく日本人の顔を見るのが嫌なので(特に会社が同じで、その会社のことをあまり好いてはいないので)

一人でいることに落ち着いているけども

まあ誰かと話す方が楽しいかもしれないね

そう思えば

会話もつまらなくはなくなりそうだし

国に帰っても何かしら持ち帰る事ができるのでは、と思う

で、エネルギーを使い果たす先には?一体何が待っているんだろうか

正しく捉えることはある種理性的で悪くないが本能と自己肯定感、幸福感を妨げないのもまた大事な行為かと思うわけで。

どこに向かうのかわからないけど幸福、というのもまた一種あるのかな?と思った

さて、あと2時間半、寝れないしどうしたもんか