自分ができたこと

周りの好きな人たち

職場の同僚、先輩や、彼女といったもの

友人は好きな人ではないと最近思う

好きな人は目標が似た人

友達は代替不可能な集団心理で

相手を好きとか言うのは失礼なもっと深いところにある関係な気がするから

ともかく自分には穏やかに生きること

やりたいことはやりきること

感情面において平穏と過剰を、理性面において戦略を、これらのパラメータを駆使したのが自分だ

感情はいかに均衡を保たせることができるかが常に選択の分水嶺になったから根底は常に感情にある。

例えば、好きな人が欲しいか(過剰)→イエス→確実に獲得するならどうすべきか(戦略)→こうする→手に入れるまでは本能→本能を駆使して得られたとして、それは自分以外を受け止めるということ(平穏から過剰)→自分はどうありたいのか、に悩む→...

こんな感じで進んでいく

 

別に私は行動的なタイプではないけれど

それは平穏というトリガーがとにかく強いから

なぜ強いかといえば当然家庭環境に影響を受けたから

皆そうだ

楽家になれるか、芸術家になれるか、経営者になれるか、基本的にこれらの選択肢が若い頃に提示されるような環境にいないと、そもそも生き物には何を選択すべきかなんてわからない

20歳の人間になにをしたいか聞いたら、そりゃ色々あるだろう

5歳の人間になにをしたいか聞いたら、すぐ尽きるだろう

人間というものは所詮関数で

その複雑性とエネルギー量で競い合うだけの分子と知り

自分はやる気を失っている

次にやることもその次も、楽しくしたって人生は続いてしまうから

跡を残さずに死んでしまうのが正解だと分かっていながら

3軍でぬくぬくと生きていられるのが幸せだから

本気で生きるんだったら

死ぬ覚悟を持てよ

 

俺は俺と同じくらい覚悟を持っていた人を見たことがなかった

今になってようやく、見える数が増えたから、自分なんかより若い頃から覚悟を決めている人もいるのかもしれないと、あるいは戦略が自分より長けているだとか、そういう風に物事を捉えられるけれど

少なくとも12歳になるまでは誰より懸命に生きるを全うした

それなのに誰も自分のこと愛してはくれなかった

その愛とは、家で紡がれる母からの愛だ

私は母に本当に大切に育てられたから

さもそれが他の家庭においても当然のやうに思ったけれど

皆サバサバと生きるを考えて

早々と友達を作る

人間関係に悩みながら絶対に死なない防衛線を早くから覚えている

そうやって生きているんだったらいつまでたっても俺には勝てない

本当に強い人間というのは今ここで死んでしまっても大丈夫だと思える人だ

覚悟というのはそういう話だ

だから、自分の算段の甘さを改善しようともせずに 誰かの甘い蜜を吸い続けるような人生を

私は芸術とは呼ばない。そんなものはガキのすることだ

ゴッホの絵も、所詮は関数の調和なだけで

その調和に美しさを感じている限りは死の直前を楽しんでるだけって

 

一回死んでみたらいいんじゃないですか

車に撥ねられてみたりとか

意図してやって

 

目標に対してがむしゃらにやることで

しかもそれを戦略的にやってしまえるから

成長角度こそ低けれど確実に何かを得る

 

 

自分にしか腹を割って見せられないって

よく言われるから

きっとそれが自分に出来たことだと私は思っている

慈愛の念をどれだけこれに注ぎ込めるかが

私の健康的に生きる上での課題だと捉えてる

甘やかしてるんじゃない反省を促してるそれが2人の歩む道

 

人は常に課題と向き合うべきだ

課題がないと人は死んでしまうから

私自体を幸せにするんだったら三条か四条あたりにいって1人フリーター生活でも30まで謳歌するよ。さよなら