思い出について

人は過ごす場所、人、時間の使い方を変えるだけで変わる 大前研一の言葉

単純なようで複雑だと思う

嘘ついて嘘ついて見えなくなったものは

見えなくしてしまうのがきっと楽だ

見えてしまうからこそ怖いし

自分から逃げたいと思うようになる

自分を飼い慣らすっていうのはきっと

反射的に出てくるような生まれて育ってきた第二次性徴前後の葛藤

多感な時期に覚える物事を

真実をいかに受け止められるかの争い

 

自分と向き合う?自分をどうしようというのか

そもそも思考の主体者は自分であるのに。

さも頭の中にもう1人の自分を作っている

たまに自分のことをものすごく冷めた目で見てくるような人がいる

諦めのような

自分が冷めた目で見るのは何だろうか

そんな価値観も持たないで今生きてる

自分の市場価値を上げることに躍起になって

ある程度の自信が付いたならやめようと

言っているうちに1年が過ぎそうだ

感性に身を任せすぎてどうにかなるなんて

わかりもしないけど

自分を変えるには場所も人も時間も、変えなくても良い

遠回りなだけで、本当は今ある環境でだって変われる

変わらないのは、周囲からの"そういう人"というレッテルが貼られるから

あなたも貼るし私もきっと貼ってる

誇れるようなものの一つもない今を

今一度考え直す

なあなあ。何になりたかったの

何ものにもなれないけど。何になりたいの

思い出は語る空虚な夢

器用じゃない人にはこの気持ち

わからないだろ

無実が胸をくすぐっている

自分を奮わせるものはなんだったか思い出して

無かったらどうしようか

それも奮い立たせる

自分が