離反性(きっかけ)と中性子工学

物事は大抵正と負で出来ている

二元論で考えることが3次元の適切な調和だ

負がたくさんあれば同じくらいの正を求める

正は当たり前に感じられないから負が強く感じる(幸せに気づかない人ほど傷つきやすい)

負をたくさん味わえば、正の意味を知れる

ところで正の意味は知るべきではないし

負を知るのがせいぜい世の中の進歩だ

 

負がなければ世の中は回らない

性善説に基づいた徹底した性悪説

 

それはまあ理性か感情か

理性に従え、つまり人間は捨てる

感情の流れに、人らしさを磨ける

どちらも二元論からは逃れられなさそうだ(すくなくともコンピュータでデータを解析すれば)

 

理性は正しさの追求って原理原則に基づいてる

そうなればシンギュラリティの文脈でもイーロンマスクが警鐘を唱える、機械による人間社会の殲滅も夢ではない

つまるところ人には経験した以上のものを追うことはできず

経験を選ぶ(あるいは選ばなくても経験させられてしまう)ことでしか存在価値を認められないのだ

負を認識しなくて幸せそうに生きるには

徹底した理性的活動を要するから

私は人を職種で判断することが多い

そのことがその人の多くを物語るから

 

理性的に生きるのを精一杯にやってみたところ

誰かを信頼することは決して許されず

三大欲求もそこそこ

夢のような現実を描くことだけを(人の感情ではなく、利便性に基づいた正解)

追っかけ回している

 

楽しいことは楽しめれば良い

楽しくないことには蓋をしたら良い

最初から合わないなら合わないで良い

綺麗で穏やかなものだけを思い出しながら

 

なんにせよ男と女

若さと老い

このラインはいまだ人間的社会が優位みたい

 

中性子工学は今日のラッキーナンバー