正しさのゴール

正しい正しくない間違ってる間違ってない

どの尺度で誰が判断するのかで玉虫色ブラックホールみたいになる

 

正しいってなんだ?長年の悩みである

正しいこと

・仕事の場合

現状の負を改善すること

・生活の場合

????

 

仕事において現状の負を改善することは

生活の負の改善にもつながるけれど

負だと思うかどうかって人間の想像できる理想形態に近づくための手段のように思えて

そうなるとゴールは自堕落な生活しかなさそう

 

正解じゃないものを選ぶ気持ちよさ

煙草を未成年が吸うとか

お酒を飲むとか

禁止されることでありがたがられる報酬系回路の斡旋業者

 

結局のところ生きる理由さえ知らない中で仕事の負を改善すること

良いものを作り良いものを使うこと

→体にフィットした椅子を作ること

 疲れる体をいやすこと

どれもこれも根本的には人間がじっとしていられないって本性がある

人間って同じ場所には居られないから。

うろちょろしてないと生きていられないのが人間だから。

細胞を活性化させるのだ、息を止めてはいけないのだ、

誰が決めた

息を止めると反射が遮るし

煙草を吸えばやめろというし

言ったとて我慢できなければ煙草を吸い続けるし(その抑制を感情と呼ぶし

死ぬ

 

なんとなく正しく生きることが誰かに害を及ぼすことが決してないこと

じゃあそうしようと思ったらできるけど自我が崩壊しそうなこと。

生きてる意味なんて分からなくたってOKと思いながら毎日を楽しく過ごせるならその方が。

 

正しさのゴールは結局生まれたんだから死ぬまでを楽しむしかないという肯定感によるものだから。

 

少なくとも正しいと思ったことをやることは誰しもが達成すれば良いし

誰かを傷つける必要はない

どちらかというと私は出来ることを糧にして(出来ることをやり続けるのではなくて)

確かに出来ると評価されるし、嬉しいし、文句ないけど

それが出来たこともないし、出来ていたのかもしれないけれど自信には繋がってないわけだし

それよりも隣にいるあの子に気に入られていたいとかそういう方が重要

矛盾しているようだけれど隣のあの人に気に入られたいなら結局何らかのフックが必要で

それは凄さとか人によるわけで

そんな繰り返しにまみれて生きているような気がした。

どうすれば思考回路が切り替わるのか。

正しいものを追い求めることによる楽しさについて疑問がある

傷つけられるのが嫌なので誰とも関わりたくない。