ちやほやされたい

自分なりに考えてもうダメ答えなし

そうでもならないと芸術なんてもんは生まれない

あるいは自分なりに考えたものを過程として世に生み出す

レオナルドダヴィンチや、時にピカソの絵のように

思考が終わると酔いしれるだけになる

 

大人になるには
自分ではない何かのために決意して覚悟して
子供は
甘えん坊でわがままで自分最高
現実において掛け合わせると
子供を忘れない大人、大人
大人になれない子供、子供
決意や覚悟は自分のためにするものでもある
依存心を恐れないこと(宗教感パない)が要る

言うまでもなく左上が一番の理想ですね

いつにだって甘えることは出来る

だが甘え出したら成長が止まる

あとはその自己に満足した余生を暮らし続けるだろう

僕は子供ができたとしても自由に生きて欲しいしそのためには自分と同様の悪を持ち光の持ち主を探す

高学歴セクシー女優とかぴったりかもしれない?でも性にはみだらであってほしくない

とにかく多少の学歴があって(品の良さ、忍耐だから)才能に溺れない


深夜に間違えた。でも本音
めちゃくちゃ甘えたがり。その癖すぐ文句を言うやつ。死ぬまで甘えん坊
【変な話】
中立を取った生き方と言うのは限界が容易にくる、と思うのでいずれはポジション争いを繰り広げていくと思う、それ大人だと思う
今のうちは傍観者でありたい。大人になった上での子供、大人だけの大人、どちらかといえば前者派。
少しずつその点を線に伸ばしていってポジションが明確になって行く。きっと全パラメータ均質だから明確にはなんねえよというツッコミはダメ🙅‍♂️
楽で一番気持ち良いので
何も幸せにならなそう。でもちょっとは覚悟を決めたよと言いたい
【すごい大真面目】
人には二種類の人格が用意されていて
分かりやすく言えば子供と大人
掛け合わせることが可能です
子供を忘れない大人と大人のままの大人
子供のままの大人(モラトリアム奴)、子供
自己愛性パーソナリティにはまり込んで自分の幸せに酔狂し続けることと
自他の関係性を常に意識して、つまりそこには緊張の糸が張り詰めており、その中を繊細に今日も自分がなんなのかを認めることができずに生きていくかの二択があると思う
なんか知ったような口きくじゃんとか思うのは自己愛性パーソナリティが強いからで何か自分を守りたい当然の欲求に素直なのだそれでいいと思うわあ
それにこんなことに何言ってんだとか言ってるヤシは今日も自他の境界に目を閉じるつまらない人間なのだ望んだならそうしなよ
わかるわーそんな悩みって言う人に会った試しがない
なぜなら贅沢な地位だから
自分は何者になりたいのだろうとかしこしこ続けて居られるのは明らかに努力量も根性量も両者に比べてはるかに必要になる
とにかく馬鹿みたいに精神力を磨耗する
会社の人に言わせるなら何の効果があるのかわからないにせよとにもかくにもわけわからないくらいのmpを消費して(メガンテですか?)わけのわからない効果を繰り広げて要るなんて表現をされる
そんな風に他者として私を観察してもらえるのがきっと肥大化した贅沢の果てだ
死にたくなる笑笑

多くの場合自己愛性パーソナリティにはまると周囲の目を気にせずにやりたいことをやればいいじゃない、恥なんて知ったことないわ、といったマインドになっていき
対をなす大衆はその豪放磊落さ加減や気ままさを理想=過去の思い出に当てはめて偶像崇拝的に扱う
振り子のような関係性を持って両者は繋がれる
ただ、自分はどちらにいきたいのかがいまいちまだ分かっていないのでぼんやり寝る前に(いつも2時寝なので
こういう風に自他の境界線を保ち続けるの
ね、気持ちわるいでしょう。わかってくれよ。この気持ち。
大抵のことは死ねばどうせ同じ穴のむじななので気にせず死んで大丈夫だと思います
そう言って自分の人生に幕を閉じるタイミングが社会的地位(結婚(ちなみに私は結婚願望大有りだ)仕事など虚実のこと)というものだと思います
私はいつまでもこのポジションに居続けたいそれは正論
自分を変えたい気持ちがなくなればあとは享楽を楽しむだけ。
享楽に耽る人間同士の姿を見るのが嫌で嫌で仕方なくてでも自分もそれしか出来なくて憧れに身をやつすのはネタ
じゃあいつやるか、いまでしょ
【適当なポスト】