先に自白すると自分は国語力のない審美眼の持ち主だから表現は一般的ではないし基本的でもない
アーティストっていうと基本的に合理性の諦めであとは情緒の勝負みたいなところがあるが、そんなもんだろうと思う
人によりその合理性(足し算とか引き算とか)と情緒(音や色彩)の比率が違うだけで音色は違うし人により感動する共感する度合ハーモニーシンパシー旋律も違うしそれでいい自分が納得したら
そう社会も同様で基本的に自他対立の話の延長戦で、自己満足を達成するためにどうしたらいいか。
社会って基本的に人々を平等にすること、つまり人にとっての価値と思われるものについて平等に評価される時代のことだから競争は平等だし感情も平等、むかつきたい人はむかつけばいいし、むかついたことに対する対価も、むかつかされた原因への対価も平等に発生するような社会
誰かにとって不快感を感じ取ったらそれを本人が自認していなくとも罰する(人が、より技術によって)
平等ってのはそういう
生まれて育ってあるべきに死ぬ超東洋哲学風の思想
前職の社長が最近書いた、お金2.0のように感化されることも少なくなり、生きる意味はやはりないのだなあ(運命論への幻想期待衰退)と思うようになると意味も持てなくなっていく感性、論理の方が正しく諦める
論理的に正解なものを選ぶというのも一種の才能だが別になくっても生きていける重要なのは何をしたいかだ
私は翻ってみると研究が好きなように思う
何かを研究して独自の解釈で表現するのを好む
だがあいにく今まで自分一人でそれが出来ると思っていたがそれも否定される
実は同じような考えを持った人は今までにもたくさんいて、
その中でも解釈をもっとも適切に行う人から万人は理解を始めるから自分が最も影響力のある人間になりたいならもっとも共通表現を持ち得る必要がある
せいぜいできることといえば自分はこうしたいと思ったことに対して向き合うくらいで向き合わなくなれば別の光陰が差すし
宗教の対立とはかくあるべき
宗教が解体されていくうちに社会が宗教を覆いこむのだろうね
慰めあいによって歩みを止めて生きるのを宗教とするのなら社会は慰めあいが適切かどうかを判断する材料
飽きたからとりあえずリリースする