悲しみのための記事は書かない

悲しいよ、から始まる幸せはダメだ

不健康だし

文学になる

悲しいだけが文学と言われたらそれも違う

けど大体悲しみの文学

日本だからかな

 

海外に目を向けよう

明るい文学だってある

 

悲しみに耳をかくような神経の振動?気持ちよさ?を得てもキリがない

幸せには幸せの尺度

誰かに指図されるものでもないこと大人は判断を鈍らせないよ自分の過ちでもね少しずつ判断力というなの何かを持つ

持てばいい

どうせまた壊すし