鬱の行方、行く末

鬱な気持ちはなんで起きるのか

今までわかっていたようであまりわかっていなかったようだ

鬱は、見知らぬ他人に靴を踏まれて嫌な気持ちになったり、そういうのとはかけ離れており

鬱になるのは、誰か見知らぬ他人が、自分の靴をわざと踏もうとしているんじゃないかという不安で患うもの

きっとストレスの源泉は常に他人に変わりないから

通常の人間、と言ってイメージされるような人間が、ストレスとうまく向き合えるのもわかる

ただしストレスとうまく向き合うっていうのはとても難しいことだとも思う

一見明るそうな彼が気付けば自殺するのかもしれないし視野がどん底まで狭くなって追い詰められてでも蘇る人だっているんじゃあないかなあとも思う

つくづく思うのは、人の苛立ちだとかっていうものは、向き合えるものじゃあないんだなってこと

全部の気付けるイライラに全部向き合おうとしたらこうなる

全部擲つ気も無くなって

誰の助けもストレスに変わって

人のこと、ほんとに信用できなくなっていく

外を歩けば視力に反比例して周りの悪意を勝手に醸成してしまうし

さらに言えば自分が思わないにせよ、誰かが自分を殺してやろうと思っているんじゃあないかとかそんな気持ちが

どこにいても感じられるのである

家に閉じこもればギリ生き延びるが、それだと人として生きていくことが難しいし

残された道は誰彼構わず倫理の再構築を行うことなんだと思うけど

無理なものは無理なので自覚しただけラッキーだと思って

なにも考えないようにする